しるしのないカレンダー

定年退職した自由人のBLOGです。庶民の目線であんなこと、こんなこと、きままに思ったことを書いてみたい。

友人葬

2014年03月27日 | Weblog
先日「友人葬」なる葬儀に参列した。
創価学会会員の葬儀である。小生の居住する地域の住民の葬儀であった。


町内会の旗を供えさせていただいた。友人葬は基本として戒名を付けずに亡くなる前の氏名を「俗名」とする。
僧侶へのお布施が発生しない。学会の儀典長と数名の会員が読経お導師としてお経を唱え故人を見送る。
儀典長の読経後の法話が丁寧な印象だ。普通の法話の数倍の時間をかけている印象だ。一斉に「南無妙法連華経」を唱える。
葬儀会場が読経の声で包まれる。ここが通常の葬儀と異なる印象だ。

町内会の代表として参列させていただいた。亡くなった方は長いこと施設で暮らしておられた方だった。顔の記憶もない。
町内会の参列者も同じ班の住民中心で10名に満たなかった。家族葬もこの程度の規模だろうと思えるほど質素だった。

通夜振る舞いの会場も質素だった。3つのテーブルで小人数の席が用意されていた。近所の住民同志で故人の印象を語った。
買い物、ゴミ出し等町内会の住民と普段顔馴染みの関係があった方ではなかった。

顔のわかる喪主の家から出た葬儀対象者(叔母さん)の葬儀だった。喪主の世話になっていた方であった。
一人暮らしの住民が増えている。
昨年も亡くなっても町内会に連絡がなかった葬儀が2件あった。
縁者が極く内輪の葬儀で済ます例が増えて来た印象だ。献体で葬儀無し。家族葬で済ませた。等の例である。
少子高齢化で葬儀は増えている。安定商売と思ったこの業界も内実、規模の縮小で厳しい環境らしい。

毎朝葬儀社の従業員とわんこの散歩で会釈する環境にある。
納棺士とも挨拶を交わす。
この人の世話にはなりたくない。
そんな考えがぽつりと浮かんでしまった。

ブログランキング

人気ブログランキングへ