普段の活動の姿が見えない。どう思うか。仕事をしていない。と思われがちだ。高齢の事務局員。80歳を超えている。最近体調が悪いと良く口にする。地域への配布物をお願いしている。雪道で大変。と思い、代わりは小生がと思い、代わって配布している。お願いをすることが減った。最近、顔を合わせることも減った。久しぶりでお会いしたら最近、顔を見ないがど~した。と言われた。仕事が見えないということは誤解を生むということだ。普段の仕事が見える化する。これが大切と思う。誰がどんな活動をしているか誰でも興味があったら知ることができる環境が必要だ。活動拠点がないことが最大のネックとなっている。担当する役員宅が活動拠点となっているのだ。だから他の役員に活動が見えない。理解されない。活動拠点に無料の活動スペースがあれば心ある活動家が集まる筈だ。その場に活動メンバーの行動予定票が貼ってあれば理解も進む。自分も頑張らねば!という意識も、意欲も湧いてくる。どんなに普段自分では頑張っているつもりでも廻りに見えない状態では理解されない。夫婦の仲が他人にわからないようなものだ。活動拠点の問題は大変重要である。無料で集える地域の拠点。お茶も飲めて、雑談が出来て、心ある事務のボランテイアが常駐して普段の活動を補助する体制が必要なのだ。「地域の茶の間」の様に週2回の開設でさえ大きな経費がかかる。常駐できる人材の確保と施設の確保。そこに係る光熱水費、人件費、管理費、大きな問題だ。問題の見える化が一番の課題。そこに気がつく人はまだまだ少ない。説明が乏しいと反発も大きい。難しいのは信頼感が年齢と性格に由来することが大きい事だ。これは器とも言う。できるだけの事はしたい。広報を大切に。これから地域の理解は始まる。