チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 135

2019年04月13日 18時05分03秒 | 日記
倉庫の整理をしていてわかったことがまだある
チャコちゃん先生ずっと気持ちが古にと行った時期がある
明治維新から始まり江戸唐子台にさかのぼりついには縄文時代にまで行ってしまった
それは唯一つ
養蚕や機織りそして着物の形が大陸からの輸入である
ということに納得できなかったからだ

まず麻を探った
最初に探ったのは苧麻だった
大麻のことは知らなかった
しかし昔から麻と呼ばれているものはどうやら苧麻ではなく大麻だとわかったのは昭和村に取材に行ったときだ
福島県と新潟県の県境にある昭和村はもともと大麻の産地であったが昭和20年の大麻栽培禁止法ができて既に生産されていた苧麻に全面的に切り替えている
着物で「麻」と呼ばれるのはほとんどが苧麻で素晴らしい繊維である

昭和村での取材の時有刺鉄線の中に大麻が植えられていて
それに対して明確な答えを言ってくれる人はいなかった
大麻というのはそんなに秘密のものなのかと探っているうち十日町の火焔土器に出会い縄文土器の美しさに出会った
縄文と云うからには縄目の柄が特徴この縄の素材はなにかといえば大麻である

大麻が繊維として縄文時代にアッたのなら絶対絹もアッたはずだと踏んだ
それから地方に行くたびに必ず博物館や美術館さらにその町の本屋に行き郷土誌を買い漁った
またできるだけ郷土史家におあいしてその土地の歴史のレクチャーを受けた
しかしそこではなかなか「絹」の歴史には入っていかなかった

があある時
宇佐八幡宮の付近は戦前蚕糸業が盛んであったということを聞き
故郷である大分のお墓参りのついでに宇佐八幡宮にお参りに行った
なんと蚕の神社もあり古びたお茶屋に入ったらそこの店主が着物を着ている私を見て
「お蚕さんに呼ばれましたな」
なんていう

「蚕の神社もありましたがこのあたりはいつ頃から養蚕が盛んでしたか?」
「弓削道鏡のことでこの神社は名を成しているけど古代からここら一体桑畑で上縄文時代からじゃろうな」
「はーー?縄文時代?」
「宇佐神宮に収められた出土品を見せてもらえば納得できるんじゃろ?」
というわけで見た!

奈良時代以前と言われる機織り機に使う石でできた垂や杼の破片
これだけで小躍りするチャコちゃん先生
確かに折の技術は大陸から渡ってきたかもしれないでも日本にもちゃんとオリジナルがありその基本がアッたから美しい降りができたのだ

糸は遺っていないが縫い針もあった

そしてこれは言ってはいけないと言われているある神社の宝物殿に湯文字らしきものをつけた土輪と出会った

日本のオリジナルをもっと誇りに思いたいとつくづく思ったものだ
それ以来1万年続いたといわれる縄文時代が愛おしくなった

#縄文時代 #縄文土器 #チャコちゃん先生 #蚕 #大麻
コメント
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