チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 129

2019年04月04日 20時18分08秒 | 日記
この季節はショールだけで歩いている
男性のネクタイと同じでスーツの色に合わせてネクタイの色を選ぶように
着物の色とショールの色を調和させるのが好き

つまり羽織が全くだめ、似合わない
こんなに似合わない人も珍しいくらいに似合わない
いろんな丈の羽織を作ってみたけどどの丈もだめ、なんでだろう

理想は鏑木清方の絵である「明石町」がだがあレは夢のまた夢
しかし羽織美人は多いそして羽織姿の女を見るのは大好き、老いも若きもいい
子供のアンサンブルも可愛い、特に小学校の卒業式に母親が黒羽織を着ているのは大好き

40年、50年代新潟の十日町は入卒用の黒絵羽羽織が制服のように飛ぶように売れた一家に一枚という感じだ

雑誌の編集をしていた時
羽織が苦手なのでよく羽織り特集をした少しでも羽織に近づきたかったのだ
昔の生地で「錦紗」という布があったがあの生地の羽織は女をいっとう美しく見せると思う
肩から腰の線の優しいドレープがいいその場合は羽織丈はヒザ下くらいがいい

羽織を美しく脱ぐ、着るというのもずいぶん撮影した
ちょっと身を沈めてきたり脱いだりすると品が良い
肩に羽織って静かに袂を通している女の人の横顔が美しい
脱ぐときは両手で袖口を引っ張りアッというまに肩から滑らせてたたむ
また少しうつむき加減の所作で袖たたみするちょっとした数秒の時間がその人を落ち着かせてみせるし周囲にゆったりとした空気が流れる

羽織は部屋の中で着たまま挨拶ができる
だから先日宮崎緑さんも着用のまあま会議に出ていらした

基本的に羽織は男のものだったのでどこか武張った感じもする
それで脱ぎ着に優しさを表現したのかもしれない

面白い話がある
吉原で遊女の数が増えて幕府は遊女の人数制限をした
その時年増(と言っても25歳以上だわ)の遊女に黒羽織を着せて
「アノものは女ではありません」というのを暗黙に役人に知らせた「羽織芸者」という名はそこから出たものだという
昔の役人も粋だわ百も承知で黒羽織の女は男と数えてしらんぷり
こういう役人の心根が大人社会

羽織紐を結ぶ姿も優しく品が出る、昨今は紐をしない人が多くて紐結びの美しい姿が消えたのは悲しい

羽織の似合わないチャコちゃん先生はショールに頼るしかない
母や姉たちがサラリと肩にかけていたビロードのショールが憧れしかし最近はなかなか手に入らない
次姉のマゼンタ色のビロードのショールを取り上げて一回身につけただけなのにタクシーに忘れてしまい出てこない
それ以来滑りやすいものは避けている
今お気に入りは真綿の結城紬のショール軽くて暖かく滑らない

ショールの付け方にも美しい所作がある
やはり身を沈めて肩にかける気が急くと出来ない所作だ
花冷えの今日この頃真綿のショールは大活躍

#着物 #羽織 #羽織芸者 #チャコちゃん先生 #黒羽織 #鏑木清方 #吉原 #遊女 #中谷比佐子 #幕府
コメント
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