チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繫ぐもの 226

2019年09月15日 13時45分27秒 | 日記
最近は「蔵の中にあるものを見てください」というお話をタントいただく
なるべく伺って見ることにしている
もちろん見たあとどうするかが問題なのだがーー

昨日も日帰りで安曇野に行ってきた
蔵が2つありその蔵を先代も先々代も開けていなかったのを今の代の奥方が、意を決して自分自身の職業を投げうり蔵の整理改造に乗り出した。それがもう20年前になる
その頃から「一度見てあげて」と友人から声をかけられていたがチャコちゃん先生ずっと生返事でいた「うんそのうちね」

蔵出しというのにこりていた40年も前に名古屋の名家にある3つの衣裳蔵の整理を依頼され、3泊4日の泊まり込みを3回繰り返し、それ以外に美術館に寄贈する着物と帯の鑑定を学芸員と検証し合うという作業もあり、結局3ヶ月かかり全くの収入がなく懲りた。勉強にはなるが小さな会社を経営する身にはちょっとしんどい。いづれ大金を持って、頂いた知恵を振り絞り着物の行く末に貢献したいが、なかなか気持ちとお金が一体にならない。ついつい真剣になってしまうのだ。

というような経緯があって腰が重い、見たいのは山々。

風邪の病も峠を越し「秋櫻が今盛りです」という誘い写真にホイホイと友人の車に乗った。見事な秋櫻の花たちの大歓迎を受け大満足のチャコちゃん先生、手入れの行き届いた蔵の中にいそいそと入る

「竹綜絖じゃあないの」「座繰りの道具よ」」「きびそを粉末にする石臼だわ」あれやこれやきゃきゃー大声で嬉しがる
「この型紙こんなしまい方していてはだめですよ」と声が大きくなる
明治時代の機織りや染や織に使った道具がきれいに手入れされて収まっていた
「私どもは何に使われていたのかわからないのですが、先祖が蔵に収めていたものですから大事にしようとホコリが付かないように掃除しています」

ありがたい
当時のこの地での養蚕や染色のあり方が道具を見て想像できる、農業の歴史がわかる。そうすると未来に何ができるかもおぼろ見えてくる
だからこの道具をまだ使えるかといえばそれは疑問、先祖の生活文化の中でどんな生き方をしていたのかは考えられる

しかし当時から馬鹿な日本政府
これだけの道具の中に織り機がまったくのこされていないのは、織り機に税金をかけたからだ、機が作動していなくても税金は取る、だったら使わなくなったら壊すしかない。(こういう事が全国的に行われた)
でも細かい道具を残してあるので再生はできるいつの時代も庶民のほうが賢い

願わくば変な相続税でここの生活文化遺産が消えないことを望む
秋櫻に導びかれたいい旅だった
コメント
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