昨夜の夕方はオペラシティの53階にあるカフェで紅茶とケーキを楽しんでいた。
開場までの時間をここでゆっくり待っていればいいと思っていた。
ある程度の広さがある店内に、お客さんは僕以外に老夫婦が一組だけだった。
それなのに、僕のすぐ脇に次のお客さんがやってきて、静かに過ごしてくれるのなら良かったのだが、結婚式の打合せを始めた。
自分がひとり者だから見、何となく僻んでいたのかもしれないが、イライラしてしまったが、とりあえずヘッドフォンステレオに逃げた。
夜の帳も下り、遠くに見える月を合図にカフェを後にした。
新国立劇場に向かう間、イルミネーションに見入っていたら、親子連れも同じように見入っていた。
小さな女の子は姪と同じくらいだろうか。何にでも好奇心を持っている。
親子連れは初台の街に帰って行き、僕は劇場のエントランスに向かった。そこでは、豪華な花が迎えてくれた。
数分待った後に受付を済ませ劇場に向かうと、「焼肉龍」と彫られた看板が飾られていた。芝居のタイトルは『焼肉ドラゴン』
左下にエピソードが書かれていた。確か、主演の申哲振さんと親交のある著名な彫刻家の方が、この芝居を観て感激して作られた…ということだっただろうか。
劇場内では既に酒盛りが始まっていた。そして、そのまま芝居が始まった。
テレビ放映を観ていて内容がわかっていたからか、息子の時生がトタン屋根の上で語り始めただけで涙が溢れて来た。
内容がわかっていたからそれが多少邪魔することはあったものの、徐々に心を掴まれた。
幕間を迎え、ロビーでマッコリと韓国海苔を味わった。癖のある味だったが、思っていたよりもすんなり味わうことができた。
すると、太鼓とアコーディオンの音が流れてきた。
幕間に休憩が取れず大丈夫なのかと思うが、彼らは楽しそうだった。
小学校6年生の時、友人が引っ越していき、その家に遊びに行った。その後、クラスメイトが彼のことを「ちょーせんじん」と言っていた。
その時は、それがどんな意味なのかはわからなかったが、その言葉に嫌な感じを覚えた。
その後、日本と朝鮮半島との関係を学んでいったが、テレビのグルメ紀行番組で韓国の人が優しく接してくれているのを見て、不思議に思ったりもした。その時は「在日」と呼ばれる人たちのことはあまりわかっていなかったが、その後、「ちょーせんじん」という言葉の意味を知った。在日の人の生活について知ったのは、映画『パッチギ』でだったと思う。ただ、それがどれほどリアルなものなのかはわからないが。
悪辣な環境でも、必死に生きてきた土地を離れ、そして家族が別れていくラストシーンに向かって行くにつれ、涙が止めどなく流れてきた。
お母さんをのせたリヤカーをお父さんが力いっぱい引いて去っていくラストの後、周りの人たちにつられてではあるが、スタンディングオベーションで熱演を讃えた。
真っ赤な目を誰かに見られるのが恥ずかしいから、まっすぐ帰ろうと思った。だが、帰り際に劇場ロビーで見かけたセットの模型を思い出したら、焼肉でなくても何だか煙を浴びたくなり、新宿の思い出横丁に寄った。
キティちゃんの赤いエプロンを着たかわいい女の子に誘われ選んだ店だったが、芋焼酎のお湯割りと煮込み、そしてやきとんに癒された。
彼女は中国から来た娘だろうか。笑顔がかわいかった。
気になるセリフがあった。今朝、録画してあった3年前の舞台の放映を見て確かめた。
トタン屋根に登った息子の所に父が向かう。桜の花びらが散り、錆びついたトタン屋根を染める。
その光景を眺めながら、父は語った。
えぇ春の宵や… えぇ心持や…
こんな日は 明日が信じられる
たとえ昨日がどんなでも
明日は きっとえぇ日になる
今、同じ空の下に住む全ての人の明日が、きっとえぇ日になりますように…