ふるさとの山歩き、樹木、カメラ、家庭菜園の日記

山歩き・歴史の散歩・樹木観察・デジタル一眼レフ・家庭菜園などの活動記録です。

2016百済への旅~6.扶余②~

2016年11月17日 | 旅行

   平成28年11月8日(火)、古代日本に多大な影響を与えた百済終焉の地、扶余を終日歩く。百済は、660年、この地で新羅・唐の連合軍によって滅びた。
6.百花亭(落花岩の頂にある東屋)
           

 7.落花岩(ナククワアム)
     百済滅亡の日、3千人もの宮女が身投げした錦江の断崖。高さ60m。
      
8. 白馬江(ペンマガン、白村江、はくすきのえ)
        錦江(クムガン)の河口。663年、百済再興をかけ、百済遺臣軍と天智天皇が送 
     った日本からの援軍が唐と戦って敗れた、「白村江(はくすきのえ)の戦い」の場所。
      
 9.階伯(ケペク)将軍の銅像
        新羅・唐の連合軍と勇敢に戦って戦死した百済の将軍。
     

     

   

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2016百済への旅~5.扶余①~

2016年11月17日 | 日記

   平成28年11月8日(火)、公州総合バスターミナル8時25分発のバスに乗って扶余に行く。45分後の9時10分、扶余(プヨ)市外バスターミナルに着いた。扶余は、武寧王の後を継いだ聖王(ソンワン)が、日本に仏教が伝来した538年に、公州から遷都し、660年新羅・唐の連合軍によって滅亡するまでの122年間、百済の王都だった町。見どころは、バスターミナルから3km以内にすべてあり、歩いて回った。
    
1.公州から扶余に遷都した聖王(ソンワン、在位523~554)
      
2.百済の代表的寺院「定林寺址(チョンニムサジ)」
     石塔には、「大唐平百済国碑銘」と刻まれているとのことだが、肉眼では確認できない。
      
3.国立扶余博物館
      飛鳥寺から出土した「8枚の蓮の花びら」をあしらった、いろいろな種類の瓦が数
   多く展示されていた。日本は、まさに百済と繋がっていた。
     
4.扶蘇山城(プソサンソン)
     海抜110mにある王城
       
5.迎日楼(ヨンイルル)
       百済の王が毎朝日の出を拝んだところ
     

 

 

 

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