きのう久しぶりにTBSの「世界遺産」を見ました。
ナレーションがオダギリからへーちゃん(中村勘太郎さん:いまだに大河「新選組!」の役名で呼んでしまいます 藤堂平助の役でした)に代わってから、さすがに眠い目をこすってまで起きてられなくて、ずっと見ていなかったのです。
それに、へーちゃんのはきはきした美しい声より、ぼそぼそとしゃべるオダギリの声の方が好きでした・・・。
でも、きのうの世界遺産はギリシアのメテオラ。
初めてこの不思議な光景を見たのは、いつのことだったでしょう。
断崖絶壁に立つ修道院。いったい、誰が、何のために、どうやって建てたのか。名前すら忘れてしまったのに、その不思議な光景を画面で見たときに受けた衝撃だけは、ずーっと記憶の底に残っていました。
最近NHKの「世界遺産」でもメテオラを取り上げていて、そのとき初めてそれがギリシアにある修道院で、世界遺産になっていることを知ったのです。
海底が地殻変動で隆起し、長い間に侵食されてできた奇岩群。その頂上に、世俗から邪魔されない祈りの場をつくろうなんて途方もないことを、誰が思い立ったのか。修道院建設に必要な物資を、人の手でどうやって運んだのか(取り外しができるはしごの跡が残っているそうです)。そして、気の遠くなるような時間をかけて建てた修道院で、どんな生活を送り、何を祈ったのか。
信じる神を持たない私には、想像もつかない世界です。
仏教系の大学にいたので、毎週宗教学の時間があり、「宗教」というものにも少しは興味を持ちました(教えは難しくてよくわからなかったけど)。でも残念ながら今まで「神」とか「仏」というものを信じようとか、仕えようと思ったことはありません。神というものを信じて、すべてを投げ出して生きていけたらラクだろうなあ、と思ったことも(長い人生には)ありましたが。
また若い頃、比叡山で法話を聞いたり、座禅や写経をしたこともあります(夏安吾という催しがあったのです)。そのとき、いまだに不眠不休などの修行をしているお坊さんがいるということに驚きました。そんなことをして、世の中のどんな役に立つのだろう、と素直に(?)疑問に思ったものです。
そんな私なので、神を信じ、すべてを(人生や命すら)捧げる人々の信仰心というものが理解できなくて、一種の狂気のように感じてこわくなってしまうのです。初めてこのメテオラを見たときに感じた衝撃というのも、信仰心だけでこんな不可能に近いことを成し遂げてしまえる人間への「怖さ」だったのかもしれません。
それなのに、どうしてこの風景にこんなに惹かれてしまうのでしょう。
少し前まで、ここの修道僧たちは修道院への昇り降りに網を使っていたようです。網で自分の身体を包み、上から巻き上げ機を数人がかりで回して、引っぱりあげてもらうのです。そのときに使うロープは切れるまで使っていたとか。いつ切れるかは、神のみぞ知る・・・。
今は観光地にもなっていて、一般の旅行者も見学できるようです。
ナレーションがオダギリからへーちゃん(中村勘太郎さん:いまだに大河「新選組!」の役名で呼んでしまいます 藤堂平助の役でした)に代わってから、さすがに眠い目をこすってまで起きてられなくて、ずっと見ていなかったのです。
それに、へーちゃんのはきはきした美しい声より、ぼそぼそとしゃべるオダギリの声の方が好きでした・・・。
でも、きのうの世界遺産はギリシアのメテオラ。
初めてこの不思議な光景を見たのは、いつのことだったでしょう。
断崖絶壁に立つ修道院。いったい、誰が、何のために、どうやって建てたのか。名前すら忘れてしまったのに、その不思議な光景を画面で見たときに受けた衝撃だけは、ずーっと記憶の底に残っていました。
最近NHKの「世界遺産」でもメテオラを取り上げていて、そのとき初めてそれがギリシアにある修道院で、世界遺産になっていることを知ったのです。
海底が地殻変動で隆起し、長い間に侵食されてできた奇岩群。その頂上に、世俗から邪魔されない祈りの場をつくろうなんて途方もないことを、誰が思い立ったのか。修道院建設に必要な物資を、人の手でどうやって運んだのか(取り外しができるはしごの跡が残っているそうです)。そして、気の遠くなるような時間をかけて建てた修道院で、どんな生活を送り、何を祈ったのか。
信じる神を持たない私には、想像もつかない世界です。
仏教系の大学にいたので、毎週宗教学の時間があり、「宗教」というものにも少しは興味を持ちました(教えは難しくてよくわからなかったけど)。でも残念ながら今まで「神」とか「仏」というものを信じようとか、仕えようと思ったことはありません。神というものを信じて、すべてを投げ出して生きていけたらラクだろうなあ、と思ったことも(長い人生には)ありましたが。
また若い頃、比叡山で法話を聞いたり、座禅や写経をしたこともあります(夏安吾という催しがあったのです)。そのとき、いまだに不眠不休などの修行をしているお坊さんがいるということに驚きました。そんなことをして、世の中のどんな役に立つのだろう、と素直に(?)疑問に思ったものです。
そんな私なので、神を信じ、すべてを(人生や命すら)捧げる人々の信仰心というものが理解できなくて、一種の狂気のように感じてこわくなってしまうのです。初めてこのメテオラを見たときに感じた衝撃というのも、信仰心だけでこんな不可能に近いことを成し遂げてしまえる人間への「怖さ」だったのかもしれません。
それなのに、どうしてこの風景にこんなに惹かれてしまうのでしょう。
少し前まで、ここの修道僧たちは修道院への昇り降りに網を使っていたようです。網で自分の身体を包み、上から巻き上げ機を数人がかりで回して、引っぱりあげてもらうのです。そのときに使うロープは切れるまで使っていたとか。いつ切れるかは、神のみぞ知る・・・。
今は観光地にもなっていて、一般の旅行者も見学できるようです。