とても有名で、いろいろな場面でその名前を耳にするのに、まだ一度も観た事がない作品だった。観て、後悔しなかった。
年齢や境遇を超えて、孤独であるということを接点に12歳の少女と、中年の殺し屋が心を通わせるという話である。この作品独特の視点としては、大人と子供が愛し合えるのか、という点であろう。別の言い方をするなら、大人と子供が対等に相手を視ることができるのかということだ。
例えば、20歳の人が新生児に恋をすることはあり得ない。30歳の人が10歳の子供を恋愛対象とすることもないだろう。しかし、40歳の人が20歳の人と恋に落ちることはあり得ないことではないし、50歳と30歳の組み合わせなら全く違和感はないと思う。年齢が問題になるのは、自分の目線と相手の目線が同じような高さになりうるかどうかという点である。相手に対して敬意を抱くことができるというのが、健全な人間関係の基本であると思う。レオンとマチルダの場合、結局は親子のような関係、疑似家族的関係に見えてしまう。
2人のアパートが警官隊に包囲され、レオンがマチルダを通気口を使って逃がそうとするシーンがある。マチルダはレオンが死を覚悟していることを悟って、彼に必死にすがりつくのだが、結局、ひとりで逃げることになる。最後の会話は
"I love you, Mathilda."
"I love you, too, Leon"
これは日本語の「愛」と英語の"love"の違いをよく表している例だと思う。この台詞は「愛している」とやってしまうと、ちょっと違うと思うのだが、かといって、他に上手い訳語が思いつかない。
人間関係を言葉で表現するのは難しいのだが、それは人間関係を構築したり維持することが難しいからでもある。
年齢や境遇を超えて、孤独であるということを接点に12歳の少女と、中年の殺し屋が心を通わせるという話である。この作品独特の視点としては、大人と子供が愛し合えるのか、という点であろう。別の言い方をするなら、大人と子供が対等に相手を視ることができるのかということだ。
例えば、20歳の人が新生児に恋をすることはあり得ない。30歳の人が10歳の子供を恋愛対象とすることもないだろう。しかし、40歳の人が20歳の人と恋に落ちることはあり得ないことではないし、50歳と30歳の組み合わせなら全く違和感はないと思う。年齢が問題になるのは、自分の目線と相手の目線が同じような高さになりうるかどうかという点である。相手に対して敬意を抱くことができるというのが、健全な人間関係の基本であると思う。レオンとマチルダの場合、結局は親子のような関係、疑似家族的関係に見えてしまう。
2人のアパートが警官隊に包囲され、レオンがマチルダを通気口を使って逃がそうとするシーンがある。マチルダはレオンが死を覚悟していることを悟って、彼に必死にすがりつくのだが、結局、ひとりで逃げることになる。最後の会話は
"I love you, Mathilda."
"I love you, too, Leon"
これは日本語の「愛」と英語の"love"の違いをよく表している例だと思う。この台詞は「愛している」とやってしまうと、ちょっと違うと思うのだが、かといって、他に上手い訳語が思いつかない。
人間関係を言葉で表現するのは難しいのだが、それは人間関係を構築したり維持することが難しいからでもある。