少年の成長譚である。「親はなくとも子は育つ」というが、その意味するところは、人の成長に必要なのは家族という形ではなく、関係であるということだ。
主人公の少年モモは、物心つく以前に両親が離婚し、勤め人風の父親と暮らしていたが、その父親も自殺してしまう。13歳の少年は独りで生きていかなくてはならない。それでもモモに不幸の陰のようなものは無く、毎日を淡々と生きている。父の生死というのは彼の生活にあまり関係がなかったということなのだろう。ただ、彼には笑顔がない。
モモの住むパリのブルー通りは街娼が立つような裏町である。貯めていた小銭を紙幣に換え、街娼を買ってみたりするのだが、それで満足するのは彼の好奇心だけであって空虚な気持ちが埋められるわけもない。
父が亡くなった時、母親と名乗る女性が訪ねて来た。息子を引き取りに来たというのだが、彼は別人のふりをしてこの女性を追い返してしまう。恐らく、母は彼が自分の息子であることに気づいていたであろうが、そのまま帰ってしまう。ただ産んだというだけでは、親子とは言えないのである。互いに相手に対する幻想はあるのかもしれないが、相互に関係性が無いからだ。
モモが言葉を交わす数少ない相手のひとりが、いつも買い物に利用している食料品店のオヤジ、イブラヒムである。彼は無愛想なジジイなのだが、客に対する観察眼が鋭い。あるいは単に、想像力が豊かなだけなのかもしれない。少年の万引きには気付いているのだが、それを敢えて咎めない。或る時、買い物に来たモモにイブラヒムが言うのである。
「これからも盗みを続けるつもりなら、うちの店だけでやってくれ」
話をしてみると、イブラヒムはモモのことをよく知っている。恐らく、出任せで話したことがたまたま当たっていただけなのだろう。それでも、モモはすっかりイブラヒムの虜になってしまうのである。
人間関係の基本は相手に対する関心である。モモはイブラヒムが自分に関心を払っていてくれたことに素直に好感を持ったのだろう。ふたりは急速に親しくなるのである。モモは父親が死んだ時、真っ先にイブラヒムのところに来て、養子にしてくれと頼むのである。勿論、イブラヒムは躊躇する事無く快諾する。
ところが、当人同士が合意しているにもかかわらず、法的にはこの養子縁組が容易に認められない。イブラヒムがフランス人ではないからである。相互に関心を失った者同士であっても、形式的な基準を満足すれば制度として「家族」であるという承認を得ることができるのに、実体のある関係があっても形式を満足できないと「家族」として世間から認めてもらえないのである。それが社会というものだ。
イブラヒムは諦めない。何度も役所に足を運び、ついにモモを養子として迎えるのである。イブラヒムはモモを自分の故郷に連れて行くことにする。免許もないのに車を買い、モモとふたりで旅に発つ。旅を通じてふたりの絆は強くなるが、モモは自分の居場所がイブラヒムの故郷ではないということも悟るのである。
イブラヒムが事故で亡くなる。そしてモモは自分の居場所に戻ることになる。自分の親が死んだ時には淡々としていたモモが、力無くベッドに横たわるイブラヒムの手を取って「死なないで」と涙を流すのは何故なのか。自分のなかに築き上げたものが崩壊してゆくのを感じる時、人はやりきれない悲しさを感じるのである。父が死んでも、母が背を向けても、モモのなかには彼等との間に築き上げたものが存在しないから、心境に変化が生じるはずがないのである。イブラヒムとの関係はモモにとっては特別のものなのである。
エンディングも面白い。成人になったモモが、新たな人間関係を築いていくことを予感させる暖かさのあるシーンである。
主人公の少年モモは、物心つく以前に両親が離婚し、勤め人風の父親と暮らしていたが、その父親も自殺してしまう。13歳の少年は独りで生きていかなくてはならない。それでもモモに不幸の陰のようなものは無く、毎日を淡々と生きている。父の生死というのは彼の生活にあまり関係がなかったということなのだろう。ただ、彼には笑顔がない。
モモの住むパリのブルー通りは街娼が立つような裏町である。貯めていた小銭を紙幣に換え、街娼を買ってみたりするのだが、それで満足するのは彼の好奇心だけであって空虚な気持ちが埋められるわけもない。
父が亡くなった時、母親と名乗る女性が訪ねて来た。息子を引き取りに来たというのだが、彼は別人のふりをしてこの女性を追い返してしまう。恐らく、母は彼が自分の息子であることに気づいていたであろうが、そのまま帰ってしまう。ただ産んだというだけでは、親子とは言えないのである。互いに相手に対する幻想はあるのかもしれないが、相互に関係性が無いからだ。
モモが言葉を交わす数少ない相手のひとりが、いつも買い物に利用している食料品店のオヤジ、イブラヒムである。彼は無愛想なジジイなのだが、客に対する観察眼が鋭い。あるいは単に、想像力が豊かなだけなのかもしれない。少年の万引きには気付いているのだが、それを敢えて咎めない。或る時、買い物に来たモモにイブラヒムが言うのである。
「これからも盗みを続けるつもりなら、うちの店だけでやってくれ」
話をしてみると、イブラヒムはモモのことをよく知っている。恐らく、出任せで話したことがたまたま当たっていただけなのだろう。それでも、モモはすっかりイブラヒムの虜になってしまうのである。
人間関係の基本は相手に対する関心である。モモはイブラヒムが自分に関心を払っていてくれたことに素直に好感を持ったのだろう。ふたりは急速に親しくなるのである。モモは父親が死んだ時、真っ先にイブラヒムのところに来て、養子にしてくれと頼むのである。勿論、イブラヒムは躊躇する事無く快諾する。
ところが、当人同士が合意しているにもかかわらず、法的にはこの養子縁組が容易に認められない。イブラヒムがフランス人ではないからである。相互に関心を失った者同士であっても、形式的な基準を満足すれば制度として「家族」であるという承認を得ることができるのに、実体のある関係があっても形式を満足できないと「家族」として世間から認めてもらえないのである。それが社会というものだ。
イブラヒムは諦めない。何度も役所に足を運び、ついにモモを養子として迎えるのである。イブラヒムはモモを自分の故郷に連れて行くことにする。免許もないのに車を買い、モモとふたりで旅に発つ。旅を通じてふたりの絆は強くなるが、モモは自分の居場所がイブラヒムの故郷ではないということも悟るのである。
イブラヒムが事故で亡くなる。そしてモモは自分の居場所に戻ることになる。自分の親が死んだ時には淡々としていたモモが、力無くベッドに横たわるイブラヒムの手を取って「死なないで」と涙を流すのは何故なのか。自分のなかに築き上げたものが崩壊してゆくのを感じる時、人はやりきれない悲しさを感じるのである。父が死んでも、母が背を向けても、モモのなかには彼等との間に築き上げたものが存在しないから、心境に変化が生じるはずがないのである。イブラヒムとの関係はモモにとっては特別のものなのである。
エンディングも面白い。成人になったモモが、新たな人間関係を築いていくことを予感させる暖かさのあるシーンである。