熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ボランティア考

2006年10月21日 | Weblog
ボランティアとして、富士山の裾野にある自然林の修復作業に従事してきた。初めて間伐と枝打ちという作業を経験した。作業自体は愉快だった。特に枝打ちは、梯子や木登り用の道具を使って木に登り、鋸で枝を切り落とす、という一連の作業がとても楽しい。作業が進むにつれて、鬱蒼としていた林には、適度に木漏れ日がさすようになり、後には枝の切り口から発散される木の香りが広がる。気分が良い。

尤も、自分が自然林修復という目的のためにどれほど役に立っているのか疑問はある。本来の目的のために日々働いている人たちの作業を邪魔しているだけなのではないかとの危惧は感じないわけでもない。

たまたま、今日、作業現場でボランティアの指導にあたっていた営林署の人と話をする機会があった。今、富士山のゴミ拾いボランティアが問題になっているそうだ。富士山の登山道周辺も植生回復のために植林事業が行われている。その事業で植えた木々の苗を、ゴミ拾いのために無造作に踏みつぶしてしまうボランティアがいるという。

「ボランティア」という言葉には、世のため人のために労力を無償で提供する、というニュアンスがあると思う。果たして本当に「世のため人のため」になっているのか、一考に値しよう。善意という思い込みを押し売りするだけの「ボランティア」も少なくないような気がする。