家族というのは逃げ場の無い関係だと思う。良好な関係を築くことができれば、それに越した事は無いが、上手くいかない時には、互いに居心地を改善する知恵が要求される。それは、我を通して相手に反抗することかもしれないし、相手を無視することかもしれないし、とりあえず表面を取り繕うことかもしれない。
「幸福のスイッチ」では三姉妹のうち次女だけが父親と上手くいかない。次女からみれば、父親は仕事一途で家族を顧みない暴君のような存在だ。他の姉妹は、その父に洗脳された哀れな存在に見えるのである。しかし、このことはこの次女が家族という共同幻想を最も強く抱いていることの裏返しでもある。家族や人間関係の「あるべき姿」へのこだわりが強いが故に、家を出て社会人として生活をしても周囲と上手くいかない。自分に「私の世界」があるように、他人にもそれぞれの世界があることを認め合わないと世の中は居心地良くならないのだが、それがわからない。そのことに気づくきっかけになったのが、怪我で動けなくなった父に代わって、家業の電気店を手伝うことだった。父の世界を経験することで、今まで気付かなかった他人の論理が見えてくるのである。
家族は心安らぐ場所ではない。人は生まれる時も、死ぬときも一人である。生きて行くのも結局は自分だけが頼りなのである。家族はそのための学びの場なのだと思う。身近に人間というものを観察し、そこから生きる知恵を得るのに、家族ほど恵まれた環境は無いだろう。失敗しても許され、親身な助言や援助も得ることができる。しかし、そこは帰る場所ではない。いつかは巣立たなければならない場所でもある。そのことを、ラストシーンがきちんと押さえている。
「幸福のスイッチ」では三姉妹のうち次女だけが父親と上手くいかない。次女からみれば、父親は仕事一途で家族を顧みない暴君のような存在だ。他の姉妹は、その父に洗脳された哀れな存在に見えるのである。しかし、このことはこの次女が家族という共同幻想を最も強く抱いていることの裏返しでもある。家族や人間関係の「あるべき姿」へのこだわりが強いが故に、家を出て社会人として生活をしても周囲と上手くいかない。自分に「私の世界」があるように、他人にもそれぞれの世界があることを認め合わないと世の中は居心地良くならないのだが、それがわからない。そのことに気づくきっかけになったのが、怪我で動けなくなった父に代わって、家業の電気店を手伝うことだった。父の世界を経験することで、今まで気付かなかった他人の論理が見えてくるのである。
家族は心安らぐ場所ではない。人は生まれる時も、死ぬときも一人である。生きて行くのも結局は自分だけが頼りなのである。家族はそのための学びの場なのだと思う。身近に人間というものを観察し、そこから生きる知恵を得るのに、家族ほど恵まれた環境は無いだろう。失敗しても許され、親身な助言や援助も得ることができる。しかし、そこは帰る場所ではない。いつかは巣立たなければならない場所でもある。そのことを、ラストシーンがきちんと押さえている。