明日から夏時間である。一度、標準を決めておきながら、自分の都合に合わせて、その標準をずらしてしまうというのは、いかにも西洋的な感じがする。常に世界の中心に自分があり、その意に添わないものは力づくでねじ曲げてしまう。そのねじ曲げられたものこそが合理的であるとして、それが都合に合わなくなると、また変えてしまう。
かつて奴隷貿易で巨万の富を築きながら、今は人権やら民主主義の価値を真顔で語る。かつて工業化で自然を破壊し尽くしておきながら、今はエコロジーを語る。そういう節操の無さに人間性というものがあるらしい。
かつて奴隷貿易で巨万の富を築きながら、今は人権やら民主主義の価値を真顔で語る。かつて工業化で自然を破壊し尽くしておきながら、今はエコロジーを語る。そういう節操の無さに人間性というものがあるらしい。