午前8時に宿を出る。まずは空港へ行って、荷物をコインロッカーに預ける。似たようなことを考える人は少なくないようで、昨日、下見に来たときには殆ど空だった中サイズのロッカーが、ターミナルビルの1階にあるものは全て塞がっていた。2階の保安検査場入口に近いところのロッカーは穴場らしく、全サイズとも全て空いていた。
モノレールから御堂筋線に乗り換えるついでに千里中央駅近くの喫茶店でモーニングセットをいただく。関西地区でチェーン展開をしている店だが、コーヒーもパンも美味しかった。
腹が落ち着いたところで、御堂筋線に乗って淀屋橋まで行く。そこで下車して、大阪市立東洋陶磁美術館へ向かう。この美術館には中国と朝鮮半島の作品を中心に約1,000点が収蔵され、そこから約400点ほどが展示に供されている。陶磁器専門の美術館としては、おそらく世界最大規模。とはいえ、その収蔵品はけっこうあちこちの企画展に出張しているので、「こんなの初めて見た」というようなものは殆ど無かった。ただ、さすがにこれほどの質と量の朝鮮半島の陶磁器を一度に観る機会はなかったので、作品そのものよりもコレクションに感心する。また、建物も陶磁器の展示のために建設されたものなので、採光などに工夫があり、その独自性にも感心する。
単純に、同じ淀屋橋の近くだから、というだけの理由で、その後、国立国際美術館へ向かう。国立美術館で現代美術に焦点を当てているのはここだけ、か? 日本の美術館なのだから、日本人作家のコレクションを充実させるとか、何か独自なことを考えてもよさそうなものだと思うのは私だけか?パリのポンピドーセンターと、ロンドンのテート・モダンと、ニューヨークの近代美術館を合わせて、その予告編ようなコレクションを大阪に作ったところで一体いかなる意味があるというのだろうか。
それにしても「現代美術」で生きている人々というのは大変だと思う。「美術」の意味するところは、時代と共に変容するもので、そこに常に創造が要求されている。創造性だの想像力だのという言葉をよく耳にするけれど、それまでに存在しなかったものを創り出すというのは容易なことではない。たとえどこかで見覚えのあるようなものであったとしても、それが「創造」につながるものなら、そうした類似品を含めて創造の過程を見守るという姿勢が、同じ時代を生きる市井の者として求められているのかもしれない。ただ、それがあまりに作家の身勝手な「自己」表現で、観る者に問いかける普遍的なものを持たなければ、創作活動を生業にする資格など無いのではないかとも思う。
まだ飛行機の時間には少し早かったが、御堂筋線とモノレールを乗り継いで空港へ行く。ターミナルのなかにあるカフェで抹茶パフェをいただく。店内には何人かの客がいて、そのうち3人がパソコンを開いていて、そのうち2人がマックだった。以前に比べると街中でパソコンを開いている人のなかでマックの割合が増えたような印象がある。これもiPhone効果のひとつなのだろうか。
飛行機は定刻通り出発し、定刻より若干早く長崎空港に着いた。ちょうど長崎市内へ向かうバスが出発するところで、滞りなく大阪空港から長崎市内にまで到達できた。既に陽は落ちて暗くなっていたが、新地というバス停で下りて、すぐに宿泊予定の宿のネオンサインが目に入った。チェックインを済ませ、新地の中華街にある小さな店で皿うどんと餃子をいただく。都内にある似たような店と然したる違いはなかったが、美味しいことには違いない。宿が入る建物の1階にあるコンビニでアイスを買って部屋へ戻る。
明日は朝早くに宿を出て船で福江島へ渡る。