「まんじゅうこわい」という噺がある。噺家によって、またその時々によっても違うのだが、まんじゅうを喰うときにどこそこのまんじゅうと個別にまんじゅうの種類を挙げながら演るときがある。その菓子屋のことを観客と共有できているなら、やはり具体的にどのまんじゅうということを明示したほうが噺と客との距離が伸び縮みして高座が躍動すると思う。しかし、そういう点で今は難しい時代になった。情報の流通量は「まんじゅうこわい」が成立した頃とは比べ物にならないくらいに膨張したが、情報の中身が比べ物にならないくらいに薄っぺらになった。自分で体験経験したことではなく見ただけ聞いただけのことに受け売りの評をつけて流されたものが圧倒的に多い気がするのである。そういうものが世評とか民意となって社会を動かすというのは恐ろしいことだ。
恐ろしいのはともかくとして、私は饅頭が好きだ。若い頃にはそれほど甘いものを好んでいたわけではないのだが今は好きだ。たぶん、きっかけは茶道を習ったあたりだ。あれで和菓子の旨さを知ってしまった。あと、以前の職場で隣の席に甘いものが好きな人がいて、彼との会話のなかでどら焼きのことが頻繁に登場していたのも大きいかもしれない。それで饅頭だが、いわゆる老舗の有名店のものも旨いのだが、私は鰍沢の竹林堂の塩饅頭が一番好きだ。例の鰍沢の落語ツアーで毎回立ち寄る店だ。以前にこのブログにも書いた。皮の味としっとり感も絶妙だし餡もいい。全体のバランスが実にいい。妙なことを考えて妙な混ぜ物をして、というようなものがやたらに多い世間にあって、こういう真面目一本気に仕事をしたものは尊い。旨いを通り越して尊いのである。「こわい」の古義は「柔らかくない」だそうだが、竹林堂の塩饅頭は食べた瞬間に己と一体化するような柔らかさだ。身体が自然に受け容れる感じとでも言ったらよいだろうか。こういう饅頭をいただきながら美味しいお茶を頂いて日々暮らすようなことになったらいいなと思う。