熊本熊的日常

日常生活についての雑記

お水取り

2018年03月03日 | Weblog

昨年10月に愛知県美術館で長沢芦雪展があり、観に行きたいと思ったのだが能わなかった。妻がどこかで奈良国立博物館で長沢芦雪旧福寿院障壁画を観ることができるらしいと聞き付けてきて、行ってみようか、ということになった。先があるかないか、という年齢になったのでモノよりもコトを大事にしたいと思っている。

このブログの年末に掲載しているエンディングロールに明らかなように、ここ数年、神社仏閣を訪れることが多くなっている。奈良は2015年から年に一度の割で訪れている。きっかけは2013年に東京藝術大学大学美術館で開催された興福寺仏頭展を観て、そこにあった興福寺友の会の入会案内を手にしたことである。仏頭に魅了されたとか、仏像に感心したというようなことではなしに、ただ面白そうだなと思っただけだ。興福寺では10月の第一土曜日に塔影能が催される。最初はわざわざ奈良まで出かけようとは思わなかったのが、次の年はどんなものか観に出かけてみようということになった。それで奈良に出かけて古い寺だの神社だのを参詣して回るうちに、奈良に限らずあちこちの神社仏閣を巡ることが習慣のようになってきたのである。

はじめのうちはお賽銭など出さなかったのだが、今は日頃から小銭を貯めておいて、お参りの時にはあげるようにしている。尤も、拝観料を取るところには出さない。お札やお守りの類も興味はなかったのだが、意匠がおもしろいものは買い求めている。また、小さな寺や神社で管理をしている人と言葉を交わしたときなど、やりとりの流れの中で買い求めることもある。どこそこのお札はご利益ある、という話を聞いて助平心で買い求めるものもある。 今は、どちらかというと仏壇よりも神棚に興味があるのだが、流石に公団住宅の狭い部屋にはそんな余裕はない。

そうした心境の変化の所為かどうか知らないが、物事の廻り合わせというものを感じるようになった。今日なども長沢芦雪のことしか頭になく、宿の人に「お水取にはお出かけですか?」と尋ねられるまで全く意識してしていなかった。お水取というものの存在は知っていたが、一夜限りの行事だと思っていた。3月1日から14日にかけてが本行でこの間は毎夜10本の大松明が二月堂へ駈け上がるが、若狭井からお香水を汲んで二月堂の十一面観音に御供えするのが13日の午前1時半頃でこれを指して「お水取り」と言うのだそうだ。その前後の儀式一切を修二会と言うのだが、俗称としては全部ひっくるめて「お水取り」と呼ばれることもある、とのこと。今日初めて知った。

そんなわけで宿の客のなかの希望者を募ってボランティアガイドの方々が案内してくださるというものに参加した。思いがけず有難い行事を拝見することができて妙に嬉しい。近頃あちこちの神社仏閣に出没しているので、あちらの方でも馴染みになってお誘いを頂いたような心持ちがする。