熊本熊的日常

日常生活についての雑記

香港の週末 土曜日

2018年03月17日 | Weblog

前回、香港を訪れたのは2012年1月だった。失業中で職探しに行ったのである。日系金融機関の現地法人でその責任者がかつての職場の同僚で、仕事を探している私に声をかけてくれた。生憎、そこは香港から撤収することになり、そこでの縁はなく数ヶ月後に日本で別の会社に就職することになった。そこから2回の転職を経て今日に至っている。

今回の出張では、毎日5時に起床して、6時に出社、9時までは通常業務、9時から17時まで研修という日課である。夕食は職場近くのスーパーで持ち帰りのものを買って宿の部屋で食べたり、宿の近所の食堂で食べている。さすがに半日職場で過ごした後にどこかへ遊びに出かけるほどの余裕が心身になく平日は職場と宿の往復に終始した。

このところ神社仏閣に詣でることが多く、香港でも地元の人々が参詣する寺院に行ってみようと思っていた。宿の近くに文武廟という寺院があることは地図で認識していて、職場の同僚からもそこが有名な寺院であることを聞いていたので、週末はまずそこにでかけることに決めていた。外見はそれほどの規模を感じさせない。周囲の高層建築物に埋もれるように在って、うっかりすると通り過ぎてしまうかもしれない。しかし、内部は見たこともないようなものだ。祀られているのは十王。日本なら十王は仏様の仲間で仏教の領域だ。しかし、ここは仏教寺院ではない。天井には蚊取り線香の大型版を立体化したような渦巻型の線香がたくさんぶら下がてっていて、下では赤い蝋燭が無数に灯っている。建物が石造りだからできることであって木造ならすぐに火事になりそうだ。参詣人は火のついた線香の束を手に五体投地のような礼拝をしている。火がたくさんつかわれているのと十王の像が彩色されている所為もあってビジュアルはカラフルだが、参詣している人がばらばらな印象で、雰囲気が緩い。荘厳とか厳粛とか「厳」の印象が薄いのである。神様と娑婆との距離が近いのか、あるいは離れ過ぎているのか。片隅にある売店ようなところで絵葉書とクリアホルダーを買おうとしたら、これは「買う」のではなくお布施の印に頂くものらしい。尤も、これは日本の神社仏閣も同じである。違うのは、こちらでは代金に相当する金額を賽銭箱に納めるところ。売店の番をしている人に払うのではない。つまり、釣銭が出ないのである。

次に向かったのは一新美術館。ここは無料なのだが事前に予約する必要があるらしい。予てウエッブサイトで本日10:00入館の予約を入れておいた。北角からフェリーに乗って行くつもりだったのだが、文武廟で思いの外長い時間滞在してしまったので、北角に着いた時点で微妙な時間になっており、フェリーではなく地下鉄で觀塘へ行く。しかし、結果的にはフェリーでも間に合った。予約が必要というのでよほど人気の場所なのかと思っていたが、少なくとも本日10:00に入館したのは私だけで30分ほど滞在したが他に客は現れなかった。現在展示されているのは趙少昴、黎雄才、關山月、楊善深、饒宗頤の作品。

地下鉄を乗り継いで香港文化博物館を訪れる。ここも入場無料。昼にはやや早いが館内の食堂で食事。メニューは英国風のものばかり。English full-breakfastとお茶いただく。このお茶がティーバックなのにたいへん美味しい。こういうところに長年蓄積されたものが表れる。展示は特筆するほどのものはなかったが、企画展として開催されていた展示のひとつに「武・藝・人生 李小龍」があった。ブルース・リーの特集である。この人の映画をちゃんと観たことはないのだが、妙に懐かしい感じを覚えた。それほど流行していたということなのである。展示されていたポスターの類に日本のものが多い気がする。中国の文物は本国よりも日本で多く保存伝承されていることが多いが、こういう比較的最近のものもそうなのだろうか。

沙田から九広鉄道で大学へ行く。駅前から学内バスで大学美術館へ。残念ながら美術館は展示替えのため休館中だったが、学内を散策する。広大な敷地で丘陵地に立地ており、駅は麓にあるので、坂を下りながら駅へ向かう。日本なら小学校高学年か中学生くらいの子供の家族連れ風の人たちと遭遇する。子供に学校を見せて勉強の意欲を煽ろうとでもいうのだろうか。そういう親子連れの子供たちは、そう思って見る所為か、賢そうだった。

鉄道を乗り継いで香港島へ戻り、そちらの大学美術博物館を訪れる。こちらの大学も坂の多い敷地だ。2棟から成っているが全体にこじんまりとしていて、博物館というよりは資料室のような印象。小企画として「元代景教銅牌展」というコーナーがあった。ピンバッチのようなものだが、十字架と卍が組み合わされた意匠が興味深い。宗教というと、今は科学の対極にあるようなものになってしまった感があるが、そもそもは世界観であり哲学であり、それを裏付けようとする科学を包括するものだったはずだ。そこに些末な区別は問題にならないのである。

さらに地下鉄で香港公園にある茶具文物館へ行く。道具類の展示は少ないが、茶を淹れる様々なやり方がビデオで流れているのが興味深い。聞き齧った中国茶の作法というのはほんとうにこの大きな世界の一端でしかないことをわずか5本かそこらのビデオでおもい知る。

香港公園のある高台の麓からトラムで宿の近くまで戻る。宿の近くのタイ料理屋で食事をしてから宿に戻る。