熊本熊的日常

日常生活についての雑記

灯台下暗し

2012年06月18日 | Weblog

昨日、初めて河鍋暁斎記念美術館を訪れた。最近、どこかの美術館の売店で赤瀬川原平の『個人美術館の愉しみ』を立ち読みしていたら、そこに載っていたのである。河鍋暁斎は幕末から明治にかけて活躍した狩野派の画家だが、明治維新で江戸幕府というパトロンを失ったので日本画という枠に囚われることなく、本の挿絵も浮世絵も肖像画も、依頼があればできるだけ需要に応えようとしたという。その腕に惚れ込んだ人々のなかには建築家のジョサイア・コンドルや宗教学者で後にギメ美術館を開いたエミール・ギメもいた。コンドルは暁斎の弟子になってしまうほどだった。

そういう暁斎ゆかりの美術館が実家のすぐ近くにあったのである。開館は1977年なので私は中学生だった。通っていた中学はこの美術館と実家の間で、行きつけの歯科もこの近所、祖母が入院した病院も近所だ。でも、数週間前までその存在をしらなかったのである。尤も、当時は美術など関心の外だったし、身近にそういうものに造詣のある人など皆無だった。知らないのも無理は無い。

河鍋暁斎記念美術館、とは言っても、彼がこの地で暮らしたというわけではない。彼が主に暮らした場所は現在の都内台東区あたりらしい。彼の娘、河鍋暁翠も同じ場所で暮らしていたようだが、その子供の代になって現在の北区赤羽に居を移し、戦争中に強制疎開で美術館のある埼玉県蕨市に移り今日に至っている。子孫がいるというだけで、暁斎と直接縁があるわけでもなさそうだ。ただ、その曾孫が彼の仕事を後世に伝えようと情熱を燃やすのは、そうさせる何かがあるはずだと思うのである。それが鴬谷であれ赤羽であれ蕨であれ、ということはこの際あまり関係の無いことだろう。

洋の東西を問わず心ある人のその心を動かしながら、長らく埋もれていた仕事の数々を改めて世に問うべく奔走する人々がいて、それに値するものがあって、そうした努力の甲斐あって現代において「発見」される作家や作品がある。そういう「運動」に触れることができるというのは、やはりたいへん嬉しいことだ。「美術館」として設計された施設ではないし、展示にも限界があるのだが、そうした制約を超えて良いものを観たとの思いを抱いてその場を後にした。 

個人美術館の愉しみ (光文社新書)
赤瀬川原平
光文社

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