Kewの鉄橋を描いた絵のことがずっと気になっている。手もとにあるスクラップブックやら雑誌を探したがみつからず、ネットで検索をかけても引っ掛からない。大英博物館かV&Aで見かけたのだろうか?大英博物館は結構頻繁に展示物の入れ替えが行われるので、もし、そこで見たのだとしたら、よほど運が良くないと二度とお目にかかれない。V&Aは日本の物に関する限り、展示があまり変わらないので、今度行って見てこようと思う。
普段は話し相手がいないことを何とも思わないのだが、こういうときは「ほら、あれ、なんだっけ?」と尋ねることのできる相手がいたらいいのにと思う。薄っぺらな世間話の相手には不自由しないが、そんなものは何百人いたところで意味はない。たまに「ひとりで寂しくないですか?」などと尋ねる人がいるが、寂しいなどというのは、精神生活が貧困だからこそ抱く感情である。その貧困な精神生活が改善されない限り誰と一緒にいても寂しさは消えない、ということに気付かない愚かしさが、それこそ寂しいではないか。
若い頃ならいざしらず、いつ死んでも不思議ではない年齢になってから、話せば話すほどいらいらさせられるような奴とは付き合いたくない。歳を取ると、会話をしていて、話の通じる相手なのか永遠にわかり合えない相手なのかの区別が、比較的容易に直観できるようになるものだ。行間を読むことができない奴にそういう芸当を求めても、無理なものは無理なのである。通じない相手は、適当に話を合わせて、やり過ごしておくに限る。
普段は話し相手がいないことを何とも思わないのだが、こういうときは「ほら、あれ、なんだっけ?」と尋ねることのできる相手がいたらいいのにと思う。薄っぺらな世間話の相手には不自由しないが、そんなものは何百人いたところで意味はない。たまに「ひとりで寂しくないですか?」などと尋ねる人がいるが、寂しいなどというのは、精神生活が貧困だからこそ抱く感情である。その貧困な精神生活が改善されない限り誰と一緒にいても寂しさは消えない、ということに気付かない愚かしさが、それこそ寂しいではないか。
若い頃ならいざしらず、いつ死んでも不思議ではない年齢になってから、話せば話すほどいらいらさせられるような奴とは付き合いたくない。歳を取ると、会話をしていて、話の通じる相手なのか永遠にわかり合えない相手なのかの区別が、比較的容易に直観できるようになるものだ。行間を読むことができない奴にそういう芸当を求めても、無理なものは無理なのである。通じない相手は、適当に話を合わせて、やり過ごしておくに限る。