所謂「バブル」というものが10年周期で発生している、という話を聞いた。直近では2000年、その前が1990年だとういのである。はっきりと定義はされていなかったが、ここで言う「バブル」は株価のことを指しているようだった。
2000年は「ITバブル」と呼ばれた。コンピューターの「2000年問題」があり情報システムへの投資が増加、同時に情報通信におけるブロードバンド投資も活発化し、そうしたIT投資の動きを反映した株式投資が加熱した。1990年をピークとする株価バブルは、1985年のプラザ合意、1987年のブラックマンデーに象徴される金融市場の不安定化に対処すべく実施された低金利政策が産み出したと言ってよいだろう。1980年や1970年がどうだったのか、という話はなかったのだが、1980年は経済が第二次石油危機からの回復途上にあり、1970年は大阪万博の年だったので、少なくとも世の中の雰囲気としては高揚していたかもしれない。
世の中のことはさておき、自分が1990年や2000年のときにどうしていたのかということが気になった。すくなくとも、バブルで儲かった、というような経験はない。1990年の前も後も、2000年も自分の生活水準には顕著な変化は見られなかった。しかし、世の中が好景気を謳歌したということは、その世の中で暮らす自分にも有形無形の影響はあったはずだ。
1990年はイギリスへの留学から帰国した年だ。勤務先の社費で留学していたのである。これはバブルの恩恵と言えるだろう。当時の勤務先で留学制度があり、その対象者は年間1人とういう、文字通り形だけの制度だった。それが、1986年に2人になり、1987年に5人になったのである。おかげで私は1987年に留学生の対象者に引っかかった。同業他社も方向性は似たような状況だが、規模は比較のしようもない。同業の最大手企業では1987年は40人であり、業界2位の企業でも15名ほどだった。桁が違ったが、私の勤務先としてはそれなりに「バブル」だったということだ。
2000年は初めて管理職になった。といっても、最初に組織ありき、というのではなく、ある外資系企業の日本での拠点構築に関わったのである。これも一種のバブルだろう。管理職といっても部下は無い。部下は自分で採用するのである。本国ではそれなりの規模であっても、日本では無名の企業が、それなりに使えそうな人を採用するというのは至難の業である。結局、採用できたのは2人だった。3人目の採用が決まりそうなところで、状況が突然変わり、採用どころか自分の職を失った。所謂リストラが決定したのである。2001年のことだった。
好景気のなかで気分が高揚するほどの経済的恩恵を受けるという体験は無いが、おそらくその「バブル」が無ければあり得なかったであろう体験ができたという意味では、その恩恵は十分に受けている。留学することや管理職になること自体が恩恵なのではない。20代後半、30代後半という時期にそのような体験ができたということが恩恵なのである。今、たとえチャンスがあったとしても、留学などしたいとは思わないし、管理職というものにも今更興味はない。物事には旬があると思う。
10年周期でバブルが発生するとしたら、これからどのようなことが起こるのだろうか。なにがどうなるにせよ、生きている限り、そこで生活をしなければならない。少なくとも、そのような前提で今を生きなければならない。今、念頭に置いている自分の中でのキーワードは「継続性」である。自分の心身の状況を考えれば、瞬発力が要求されるようなことは、もはやできない。地道に細く長くどこでもどのような状況下でも続けていけそうなことを生活の軸にしたいと思っている。そんなものは無いかもしれない。無ければ自分で作ればよい。そうした自分の生活史と世の中の周期とが、うまい具合に重なればきっと楽しいだろう。
2000年は「ITバブル」と呼ばれた。コンピューターの「2000年問題」があり情報システムへの投資が増加、同時に情報通信におけるブロードバンド投資も活発化し、そうしたIT投資の動きを反映した株式投資が加熱した。1990年をピークとする株価バブルは、1985年のプラザ合意、1987年のブラックマンデーに象徴される金融市場の不安定化に対処すべく実施された低金利政策が産み出したと言ってよいだろう。1980年や1970年がどうだったのか、という話はなかったのだが、1980年は経済が第二次石油危機からの回復途上にあり、1970年は大阪万博の年だったので、少なくとも世の中の雰囲気としては高揚していたかもしれない。
世の中のことはさておき、自分が1990年や2000年のときにどうしていたのかということが気になった。すくなくとも、バブルで儲かった、というような経験はない。1990年の前も後も、2000年も自分の生活水準には顕著な変化は見られなかった。しかし、世の中が好景気を謳歌したということは、その世の中で暮らす自分にも有形無形の影響はあったはずだ。
1990年はイギリスへの留学から帰国した年だ。勤務先の社費で留学していたのである。これはバブルの恩恵と言えるだろう。当時の勤務先で留学制度があり、その対象者は年間1人とういう、文字通り形だけの制度だった。それが、1986年に2人になり、1987年に5人になったのである。おかげで私は1987年に留学生の対象者に引っかかった。同業他社も方向性は似たような状況だが、規模は比較のしようもない。同業の最大手企業では1987年は40人であり、業界2位の企業でも15名ほどだった。桁が違ったが、私の勤務先としてはそれなりに「バブル」だったということだ。
2000年は初めて管理職になった。といっても、最初に組織ありき、というのではなく、ある外資系企業の日本での拠点構築に関わったのである。これも一種のバブルだろう。管理職といっても部下は無い。部下は自分で採用するのである。本国ではそれなりの規模であっても、日本では無名の企業が、それなりに使えそうな人を採用するというのは至難の業である。結局、採用できたのは2人だった。3人目の採用が決まりそうなところで、状況が突然変わり、採用どころか自分の職を失った。所謂リストラが決定したのである。2001年のことだった。
好景気のなかで気分が高揚するほどの経済的恩恵を受けるという体験は無いが、おそらくその「バブル」が無ければあり得なかったであろう体験ができたという意味では、その恩恵は十分に受けている。留学することや管理職になること自体が恩恵なのではない。20代後半、30代後半という時期にそのような体験ができたということが恩恵なのである。今、たとえチャンスがあったとしても、留学などしたいとは思わないし、管理職というものにも今更興味はない。物事には旬があると思う。
10年周期でバブルが発生するとしたら、これからどのようなことが起こるのだろうか。なにがどうなるにせよ、生きている限り、そこで生活をしなければならない。少なくとも、そのような前提で今を生きなければならない。今、念頭に置いている自分の中でのキーワードは「継続性」である。自分の心身の状況を考えれば、瞬発力が要求されるようなことは、もはやできない。地道に細く長くどこでもどのような状況下でも続けていけそうなことを生活の軸にしたいと思っている。そんなものは無いかもしれない。無ければ自分で作ればよい。そうした自分の生活史と世の中の周期とが、うまい具合に重なればきっと楽しいだろう。