熊本熊的日常

日常生活についての雑記

渋滞考

2008年05月06日 | Weblog
日本は黄金週間だ。今日も日本は祝日である。何の日かと思えば「振替休日」。祝日が日曜に当たったからといってわざわざ振り替えてまで休まなくてもよいのではないかと思うのは、自分が休めないからそう思うのだろうか?ネットで日本のニュースを見れば連休で高速道路が渋滞している写真が載っている。車に乗るのが大好きで、せっかくの休日だというのに、渋滞承知でいずこかへ出かけることに決めている人たちが大勢いるのだろう。混雑するのは道路だけではない。公共交通機関は悉く混雑する。何故だろう? 何故、混雑して疲弊することがわかっているのに敢えて出かけるのだろう?おそらく「連休に遊びに出かける」というのも何かの記号なのだろう。

もうひとつ連休の混雑の報道を読んで考えたことがある。自分は渋滞を回避できると考えて出かけている人も少なくないのではなかろうか。

我々は不確実性のなかを生きている。「一寸先は闇」なのである。だから、連休に行楽地へ向かえば、道中は渋滞し、着いた先も混雑していることは十分予想できるのだけれど、実際に行ってみなければわからない。だから敢えて出かけてみる、という人もあるだろう。

我々は無意識のうちに、未来が過去の延長線上にあることを前提にして生きている。だから、得意絶頂にあるときは、それが未来永劫続くとの錯覚に陥り傲慢に振る舞ってみたりする。反対に、何もかも思い通りにならない時は、絶望の底に沈んで陰鬱になってしまう。しかし、実際に未来がどうなるかは誰にもわからないのである。例えば勝負事で、九勝一敗でも全体としては大負けということもあるし、一勝九敗でも大勝ちということだってある。「運命の悪戯」という言葉があるが、幸運も災厄もどこに隠れているかその場になってみないとわからないのである。

もし、自分に希望や期待があるのなら、それを安易に諦めるべきではないと思うのである。ある日突然、希望がかなうような状況が現れるかもしれない。自分の意志で何事かを成し遂げたという経験を重ねれば、それが自信になり、別の幸運を呼び込むかもしれない。逆境を克服した経験を重ねれば、それだけ知恵がついているはずだ。無駄な経験や知恵というものはない。その何事とか逆境は小さなことでもかまわない。自分のなかに達成感を残すことが重要だと思うのである。

話はかなり飛躍したが、敢えて出かけてみて、やっぱり渋滞に巻き込まれてしまった、というのが多くの人の現実だったと思う。それでも、渋滞バンザイ、ということにしておこう。

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