熊本熊的日常

日常生活についての雑記

本当のことは誰も知らない

2018年10月06日 | Weblog

台風25号が接近している所為なのか、宿の部屋から見える雲がなんだか凄い。幸い、雨のほうはたいしたこともないうちにJR奈良駅に着いた。関西本線に乗って郡山で下車。このときは雨は降っていなかったが、近鉄郡山駅への一本道を歩いていると薬園八幡のあたりで降り出した。けっこうな雨脚だ。薬園八幡にお参りをして、なおも雨降りしきるなかを近鉄の駅へ向かう。新紺屋町の信号を過ぎ、最初の細い路地に源九郎稲荷の参道を示す幟や看板が並んでいる。せっかくなので参道に入る。正面に門が見えたが、鉄の格子のような門は閉じられている。参道の看板や幟を掲げておいてそれはないだろうと思いつつ、門のほうに向かって歩いていくと門の左に神社が見えてきてほっとする。

芝居というものに疎いので「源九郎」だの「狐忠信」だのと言われても全くピンとこないのだが、『義経千本桜』という人形浄瑠璃とか歌舞伎の演目があって、そこに登場する「狐忠信」というのがこの源九郎稲荷の化身なのだそうだ。そんなわけで、芝居好きの人たちがここにお参りに来るのだそうだ。雨がひどくなったので、ここの宮司さんと思しき人に勧められるままに社務所兼住居の玄関の中に入れていただいて、いろいろ興味深いお話を伺った。旅行をしていて楽しいと思うのは、こうしてたまたま通りかかったり出会ったりした人から話を伺ったり、思いもよらぬことに感心したりする機会に恵まれることだ。30分ほど話し込んだあたりで陽がさしてきて、雨が上がった。源九郎稲荷を後にして近鉄郡山駅へ向かう。

近鉄で終点の橿原神宮前駅で下車。駅舎は立派だし、駅前のロータリーはよく手入れされていて、客待ちのタクシーの列もある。ところが、人影が殆どないのである。土曜の昼間、台風接近で不要不急の外出を避けている人が多いかもしれないという事情はあるだろう。ここまで乗ってきた電車にはそれなりの人の数があったが、みんなどこへ行ってしまったのだろう?

橿原神宮の『由緒略記』の「はじめに」には
橿原神宮は、九州高千穂から御東遷され、畝傍山の東南の麓、橿原宮にて即位された第一代神武天皇を、その建国の聖地でお祀り申し上げております。
とある。えらく古い話なのだが、橿原神宮の創建は明治23(1890)年と比較的新しい。「新しい」というのは私の主観だが、ウィキペディアを見たら、この年にはこんな人たちが生まれている。

古今亭志ん生は「昭和の名人」と呼ばれる噺家の一人だ。カーネル・サンダースは今でも街角で見かけるし、大野伴睦は東海道新幹線に岐阜羽島という誰が利用するのかよくわからない駅を設置せしめた功労者で、東山千恵子は名画「東京物語」で笠智衆と夫婦役をつとめていた。笠智衆は寅さんで柴又帝釈天の御前様だ。同世代の生身の人々を並べてみると、1890年創建というのは、そう古い話ではないと感じるのである。

昭和15(1940)年には拡張整備が行われ、現在の一の鳥居から続く森のような参道はこのときに造営されたものだそうだ。境内は整然としていて、確かに別世界のようである。手水舎で身を清め南神門をくぐると、社殿と背後の畝傍山との配置の妙に感心させられる。

境内に長坂稲荷があり、小さな参道に朱い鳥居が立ち並ぶ。どこぞに有象無象が群がる似たような御稲荷様があるが、こちらは人影少なく落ち着いたものだ。境内が賑わうというのは結構なことなのだろうが、参拝する立場からすれば、静かな境内のほうが有り難い気がする。

一旦宿に戻って一服して、興福寺へ向かう。通常なら東金堂前の特設舞台で奉納される塔影能だが、今日は台風25号が近畿地方に接近するという天気予報のため、既に設置の終わっていた特設舞台を片付けて文化会館で行われることになったとの掲示が出ている。台風接近ということよりも、本当のところは、この時期としてはかなり暑い30度を超える気温の所為ではないだろうか。日没後の開催とは言え、暑いなかでの野外能というのは演じる方も観る側も辛いものがある。空調のある屋内のほうが誰にとっても有り難いだろう。

塔影能の後は、今年も香音で晩御飯をいただく。興福寺からの距離とか料理の内容とか諸々が我々夫婦にはちょうどよいのである。年に一度しか訪れないのに厚かましい願いとは承知しつつも、この店はいつまでも続いて欲しい。

 


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