宿をチェックアウトし、昨日申し込んでおいた宿のシャトルバスで福山駅まで送っていただく。福山からは山陽本線の普通列車で倉敷へ行く。倉敷の宿は駅のすぐ近くにある。老人ホームだったところをホテルの改装してこの7月に開業したばかりの宿だ。まずは荷物を預けて、今日は倉敷の景観保存地域だけを歩く。
駅前から景観保存地域までアーケード商店街があるのだが、そこそこの観光地を抱えていてもシャッター商店街だ。それでも営業している店も少しはあり、たまたま通りかかったコーヒー豆屋兼カフェで一服する。2階建で1階が豆屋で2階がカフェスペースというよくある造りだ。ちょっと変わっているのは店の中央部分が吹き抜けになっていることだ。豆屋の店頭には生豆が並んでいる。注文を受けてから焙煎するのだそうだ。煎りたての豆を売るというパフォーマンスは目を引くかもしれないが、数百グラム単位で焙煎することにどれほどの意味があるだろうか。ハウスブレンドをいただいたのだが、きちんと落としてある。しかし、これくらいの味を出す店はそう珍しいわけではなく、鞆の浦ミュージアムのカフェのような感動はない。
アーケードが終わったところが景観保存地区の入り口でもあり、ほどなく大原美術館が路地の向こうに見えてくる。このブログに時々書いているが、日本には大英博物館とかロンドン・ナショナル・ギャラリーとかパリのルーブルのような弩級の博物館や美術館はないが、適度な規模で自分の気分や興味の赴くままにふらふら歩いて楽しい美術館がたくさんある。研究者にとっては資料の充実度というのは大きな魅力には違いないが、一般客にとってはデカければよいというものでもないだろう。大原は独自の美術館観を持った美術館という感じがする。そのコレクションのコアは児島虎次郎が蒐めた西洋画の作品群だが、それよりも總一郎館長の時代に形成されたコレクションが面白い。西洋画はここが創設された頃なら蒐集すること自体にも意味があっただろうが、今の時代は飛行機も安くなったので、日本で見なくともルーブルやプラドやウフッツィへ出かけていけば済むことだ。そんなものよりも、總一郎館長が目指した「時代とともに成長する美術館」というものがどういうものなのか、その考え方をコレクションから見出すところに楽しさがある。
外が暑いということもあり、美術館のなかが充実しているということもあり、午前中は大原美術館で過ごし、美術館傍のカフェ・グレコで一服してから倉敷民芸館に行く。東京駒場の日本民藝館のほうは、年末の民芸館展を除けばそれほど混むことはないが、かといって誰もいないというようなこともないだろう。こちらは私たちが訪れたときには誰もいなかった。入館料を払う前にしばらく売店を眺めていたのだが、その間にも誰かが来るというようなことはなかった。入館料を払い、入り口のロッカーに荷物を預け、内部を見学する間、誰に追いつくことも誰に抜かれることもなかった。なんという贅沢な時間だろう。尤も、こういうのも巡り合わせだ。私たちが出ていくのと入れ違いで年配の二人連れがやってきて、門を出たところでBBA軍団がドヤドヤと入ってきた。
中橋を渡ってアイビースクエアへ向かう。この中に大原の別館である児島虎次郎記念館がある。児島の作品と児島に縁の作品がまとまって展示してあるほか、児島が蒐集した古代エジプトの遺物なども展示されている。児島という人はずいぶんいろいろなところへ行かせてもらったものだ。本人と面識がないので何を思って大原孫三郎から資金を得て欧州やエジプトへ出かけていたのか知らないが、真っ当な人間なら責任感とか使命感を胸にしていたであろうし、少し生真面目ならかなりの重圧も感じていたかもしれない。しかし、あまり勢い込んで「学ぼう」などと考えると表層にばかりこだわって肝心なことは何も得られないということもよくあることだ。児島はどうだったのだろうか。
ついでに倉紡記念館も覗いてから、アイビースクエアを後にする。旅行をするときに細かい計画など立てたりしないが、いくつかやってみたいことは意識しておくようにしている。今回は倉敷でジーンズを買う、というのがそのひとつだ。アイビースクエアの前の道を阿智神社方面へ少し行ったところにデニムを扱っている小さな店があったので入ってみた。小さな店なので品数は限られているし、店員もひとりで切り盛りしているようだ。それでも声をかけて商品を見せてもらう。あれこれ説明を聞き、試着して、納得したので一本買い求めた。裾上げだけでほかに直しは必要なかったが、引き渡しまでに一週間程度かかるという。商品を送ってもらうことにして、代金を支払った。ついでにその店員にちょっとした夕食によい店を教えてもらう。2つ挙げてくれた。どちらも和風の料理の店だ。そのデニムの店から近いところだったので、まだ陽は高いが場所の確認をしてみた。
夕食の店の場所を確認して、そのまま阿智神社へ至る長い階段を登ってお参りする。阿智神社は倉敷の総鎮守だ。倉敷には阿智という地名があるが、阿智神社があるのはなぜか倉敷市本町だ。なぜだろう。住所のことはともかくとして、阿智神社の主祭神は宗像三女神だ。海上交通の守護神なのである。今の倉敷を歩くと総鎮守が海上交通の守護神というのはピンとこないかもしれないが、けっこう最近まで阿智神社のある鶴形山が島であったことを想えば納得できる。さきほど阿智神社へ至る階段と書いたが、この階段の登り口あたりが船着場だったというのである。このあたりに限ったことではないが、日本は国土の約7割が山林で平野が少なかったにもかかわらず、経済価値の基準を米に置いていた。当然のことながら、どの地域も米が沢山とれるような手立てをあれこれ考える。山からストンと海に出るような地形のところなら山を削って干拓をする。倉敷は今でこそ美観地区のイメージで海とは距離があるかのような印象だが、臨海工業地域を抱えている。少し南下すればすぐに海なのである。
阿智神社にお参りした後、山を下りてデニムの店で教えてもらった料理屋へ行ってみる。まだ開店には少し間があったので、その前を通り過ぎてマスキングテープなどを扱っている店を覗く。岡山の名物といって何を思い浮かべるかは人それぞれだろうが、mtブランドでおなじみのマスキングテープのメーカーは岡山の会社だ。もともとは蝿取り紙のメーカーだ。そういえば、蝿取り紙を目にしなくなって久しい。子どもの頃、親戚が暮らしていた十条のアパートは台所、トイレが共同で、風呂はなかった。その共同台所に蝿取り紙がぶらさがっていたのを覚えている。しかし、自分の家では使っていなかったので、その頃すでに需要は減少トレンドにあったのかもしれない。いつ頃からマスキングテープに取り組むようになったのか知らないが、うまいことを考えたものだと思う。ぱっと見、コストとして大きいのはテープのデザイン料だろう。逆にいえばデザインに凝らなければ原価率はかなり小さい。生ものでもなければ壊れものでもないので輸送コストもたいしてかからないだろう。それが、一個数百円で売れるのである。たまたま「見切り品」で安売りしているもののなかに横尾忠則がデザインを担当したものがゴロゴロしていたので5つばかり買ってしまった。
デニムの店で教えてもらった料理屋は軒先に「おでん」の提灯をぶらさげていた。年季の入ったカウンターで、一見してそれなりの手間暇がかかっている料理を盛った大きな皿が並んでいる。何がどうというのではないのだが、旨い店というのは見ただけてわかる。本日のおすすめになっている料理を腹がふくれるまで順に頼み、最後に稲庭うどんをいただいて店を出る。ここも鞆の浦と同じように甘めの味つけだ。鞆の浦も倉敷もかつてはたいへんに栄えたところである。そういう土地の味つけというのは、昔は貴重であったようなものがふんだんに使われ、そういうものを以って客人をもてなしたということなのだろう。そういえば、倉敷名物に藤戸饅頭というのがある。日持ちがしないので東京では滅多にお目にかからないが、その土地その土地の饅頭があるということにふと興味を覚えた。
本日の交通利用
0903 鞆の浦 発 宿のシャトルバス
0930 福山駅 着
0945 福山 発 山陽本線 普通
1026 倉敷 着