熊本熊的日常

日常生活についての雑記

イメージの力

2014年03月21日 | Weblog

娘と国立新美術館で「イメージの力」を観てきた。衝撃的だったのは自分自身のことだった。展示の中にベトナムで観光客相手に販売されているという玩具があった。ビールや清涼飲料水の空き缶を材料に作られた飛行機や車といった他愛のないものだ。素材の缶のデザインがそのまま製品に活かされていて、一見してコーラの車だったり一番絞りの飛行機だったりする。それを見て、空き缶が全く違ったものに姿を変えたことに感心してしまった。しかし、アルミ板で玩具を作るときに、たまたま素材のアルミが空き缶だったというだけのことで感心するようなことではない。そこに「一番絞り」とか「Schweppes」とか「Coca-Cola」といったデザインがあるために、それらの素材の以前の用途の印象が喚起されてしまうのである。対象そのものを捉えることができず、素材の転用という感心するほどのことではないことに感心してしまう。そこに自分の限界を見た思いがした。

震災の年に埼玉県立近代美術館でエル・アナツイの展覧会を観た。ワインの瓶の口のところを覆っている金属板を集めて糸でつないでタペストリーのようなものに仕上げた作品を数多く展示してあり、ちょっとした感動を覚えた。そもそも金属なので「金属のような質感の布」というのは妙なのだが、離れて眺めると金糸で織った高貴な人のマントのような風格が感じられたのである。その展覧会の会場でアナツイが自分の作品について語るフィルムが上映されており、そのなかで安価な素材をふんだんに使うことで発想が自由になる、というようなことを語っていたのは今でも記憶している。コストに縛られないというのは創作にとって大きなことかもしれないが、制約のなかでの工夫から創造が生まれることもあるだろう。優れた素材が優れた作品をもたらすという面もあるだろう。考え方の問題と片付けてしまえばそれまでなのだが、素材が持つ、あるいは持っていた意味に、作品を見る側の眼が影響を受けるのも確かなことのように思う。

今回の「イメージの力」にも出展されていて民博の常設でも観たことがあるものに、銃で作った像や椅子がある。これはモザンビークで1975年の独立から1992年まで続いた内戦で残された武器を回収してアート作品にしたものだ。回収方法が興味深い。武器と農具を交換したのだという。モザンビーク聖公会のディニス・セングラーネ司教の発案で始められた「武器を鍬に」と称する運動で、イザヤ書にある「剣を鋤に」という章句に拠るのだそうだ。武器の交換対象は農具だけでなく、ミシンや自転車などもあった。その自転車は日本のNPOが集めた放置自転車が使われた。この運動で生み出された作品のなかで民博に収められることになったもののなかに自転車に乗る家族の姿を表現したもの(作品名「いのちの輪だち」)があるのは、日本から自転車が送られたことに対応する。回収された武器が武器のままでは世の中から武器が消えたことにはならない。それを武器とは無関係なものに転換することで初めて「回収した」と言えるのである。それでこうした作品がたくさん作られて輸出されており、民博のほかに大英博物館なども購入しているという。これはベトナムの観光土産用玩具やアナツイの作品とは違う出自で、むしろ武器が素材になって武器ではないものに転換したということが示されるべきものだ。まさに「イメージの力」である。

目の前にあるものの何を見るべきなのか、作り手の立場からすれば何を見せるべきなのか、人の眼は何にどれほど影響されるものなのか、いろいろ考えさせられる展示だ。

 


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