熊本熊的日常

日常生活についての雑記

あたりまえの負担

2011年06月08日 | Weblog
木工では今日もヤスリがけに終始。手挽きの断面はどうしても荒れてしまうので、機械で切断するのとは比べ物にならないほどのヤスリがけが必要になる。しかし、形状の関係で電動工具を使って切断するわけにはいかなかったので、これは仕方のないことだ。結局、鋸の跡を完全に消し去ることはできないのだが、それなりに恰好のつく状態にまですることができた。次回は横木を組んで目違いを修正し、改めてヤスリがけになる。マガジンラックという小物でありながら、ヤスリがけに要する時間が長く、最後に布を取り付ける作業もあるので完成までは暫らくかかりそうだ。

今日は先生から端材で作ったというトイレットペーパーホルダーをいただいた。普通サイズのロールが上下に各一巻装着できるようになっているものだ。確かに、予備のロールの置き場所というのは考えることがあるが、こうした小物ひとつでトイレの空間の雰囲気が変化するものである。尤も、そういうことに関心の無い人には雰囲気もへったくれもないのだろう。

木工の帰りにcha ba naでビルマそうめんを頂いた後、その近くのベーカリーで明日の朝食用のパンを買う。天然酵母を使っていることを売りにしている店で、なんとなく敷居の高い印象を受ける店だ。店に入ってすぐ、ライ麦パンが焼きあがったとのことで、奥から板の上に並んだ円盤を膨らましたような形のライ麦パンが運びこまれた。焼きたてのライ麦パンというのは食べたことがなかったので、それをいただくことにした。レジの店員がなぜか妙に嬉しそうにしている。美味しいものをおいしい状態で買ってもらえるというのは、作る側からすれば確かに嬉しいことだろう。その店員の笑顔につられて、まだ食べる前から私のほうまで嬉しくなってしまう。住処に戻って早速少し切り取って食べてみたが、なるほど美味しい。作り手と使い手との距離が短いところに手仕事の良さがあると思っている。互いの姿が見えることで、その媒介となるものは単なる物理的存在を超えた存在感を獲得する。また、そういう存在感を与えられるように作るのが作り手の責任であり、その存在感を受けとめる感性を磨くのが生活者の責任でもある。「責任」というと大袈裟に聞えるが、そうした覚悟を持って生きなければ生活の豊かさなど感じることはできないのではないだろうか。責任を持って生きたいものである。

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