植物にはすべて周期があって、機を逸すれば色は出ないのです。たとえ色は出ても、精ではないのです。花と共に精気は飛び去ってしまい、あざやかな真紅や紫、黄金色の花も、花そのものでは染まりません。(16頁)
本当のものは、みえるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、海や空の青さもまたそういう聖域のものなのでしょう。(17-18頁)
織りはじめに主題を決めるために、さまざまの色を入れてみます。色と色はなかなか溶け合わず、互いに牽制し合っていますが、その中に一色入れたことによって、あたりの色がすーっと吸い寄せられ、音色が生まれます。(39頁)
嶋田さんは「糸を布にするより、布を金にする方がむずかしい」といわれたが、確かにそのとおりで、布になったものが製作者の手を離れて、社会に向って歩き出すと、社会はそれを金によって評価する。糸を布にするだけなら工房に入った若い娘が、二、三ヶ月で出来ることだが、布を金にすることは二、三年ではどうにもならない。少なくとも十年はかかるのである。しかしその十年がたってみれば今度は、「布を金にするより、金をいかに使うかがさらにむずかしい」といわざるをえない。(109-110頁)
「下手ハネバル、上手ハキル。名人ハハナレル」(140頁)
「工芸の仕事をするものが陶器なら陶器、織物なら織物と、その事だけに一心になればそれでよいか、必ずゆきづまりが来る。何でもいい、何か別のことを勉強しなさい。その事がいいたかった。
或る人が織物に懸命だった。技術はどんどん上達した。しかし構図からも、色彩からも何か大切なものが失われていった。私はそれを身近に見ているから、今あなたにそれを云うのだ。
画家がただ絵だけ描いていたらそれでよいと思う人はいないだろう。剣客が人を切る術ばかり磨いていたら人は何と云うだろう。工芸家とて同じ事だ。(以下略)」(226-227頁)
先のことは考えなくていい。ただ精魂こめて仕事をすることです。云ってしまえば、誠実に生きることです。『運、根、鈍』とはそういうことです。(248頁)
一色一生 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) | |
志村 ふくみ,高橋 巌 | |
講談社 |