洲之内徹『気まぐれ美術館』新潮社
この本の購入経緯については5月の「読書月記」に書いた通りである。漸く2巻目を読了。読み始めるとぐいぐいと引き込まれてしまうのだが、他に家に積んであるものもあってなかなか読み始めることができずにいた。
洲之内は私の祖父とほぼ同世代だ。「世代」をどのように定義するかにもよるが、あの戦争を社会人として経験した世代である。戦争中、洲之内は陸軍北支派遣軍宣撫官という非戦闘員として従軍していたそうだ。私の母方の祖父は国鉄職員で戦争当時は宇都宮駅に勤務していた。父方のほうは知らない。父はそういうことを語りたがらないので、こちらも聞かないことにしている。ちなみに私の両親は同い年で、戦争中は小学生だった。
洲之内の書いたものを読んでいると、あの戦争を生き抜いた人とそうでない人との断絶のようなものを感じる。自分は後者だが、こうした書き物が当然に誇張や偏見を含んでいることを考慮しても、戦争経験のある人の強さのようなものを感じるのである。毎度毎度同じことを書くが、人は経験を超えて発想できない。いろいろな意味で切羽詰まった時代を生き抜いた人には己の限界とか潜在力というようなものを自覚した肚の座り方のようなものがある気がする。そういう時代を生きたいとも思わないが、そういうところを生き抜いた人を素朴に憧憬する気持ちもある。
東京やなぎ句会編『友ありてこそ、五・七・五』岩波書店
俳句とか短歌というものを詠んでみたいとの思いはずいぶん前からあって、こんなブログを飽きもせずに書き続けているのもその前段階のつもりということが全くないわけではない。今月17日のブログに俳句などを詠んでみたいと書いて、やっぱり思ったときに何か行動しないといけないと思ってアマゾンで検索してこの本に行き着いた。
当たり前かもしれないが、俳句はひとりで詠んでいてもダメだなと思った。句友というものがないと、自分の作ったものを相対化でしないし、たぶん楽しくないだろう。友人を得るには、やはりある程度句や歌を詠むことができないといけないのではないか。それには取っ掛かりがないといけない。取っ掛かりは自分で積極的に追い求めるものか、鷹揚に構えて縁を待つか。うだうだとしょうもないことを考えながら本棚の片隅で埃をかぶっていた歳時記を引っ張り出して、外は埃にまみれているのに中身が新品の歳時記をぱらぱらとめくってみる。
『完訳 千一夜物語』(1) 豊島与志雄・渡辺一夫・佐藤正彰・岡部正孝 訳 岩波文庫
2月に西尾先生の講演会(国立民族学博物館友の会 第117回東京講演会)を聴き、一度「アラビアンナイト」というものを読んでみようと思い、中古で岩波文庫の『完訳 千一夜物語』全13巻セットを購入した。
おとぎ話とか昔から伝承されている話というのはその土地の人々の価値観を表現している。そういうものが土地によって異なるから世に諍いが絶えないと語ることもできるだろうし、様々な相違を超えた普遍性があるからこそ争いが絶えないとはいいながらも人類社会としての一定のまとまりを維持していると言えなくもないだろう。座標軸の取り方で同じものを如何様にも解釈できるということなのだが、私はこの1巻目の最初のほうに登場する一文に興味を覚えた。
世事の苦さを味わわんとならば、善良にして親切なれ。
まさしく、命にかけても言わんに、悪人はいっさいの感謝を知らず。
宜しくば、試みよ。アメルの母、憐れなるマジルのごときが、汝の運命ならん。
(56頁)
これは彼の地の諺らしいのだが、「善良にして親切」であると悪人に酷い目に遭うというのである。「正直者が馬鹿をみる」ということなのだが、少なくとも文庫の一巻目を読んだ限り、その基調にあるのは小狡い知恵を肯定する考え方であるように思われた。しかし、一方で「善良にして親切」というときの「善」は、翻訳である所為かもしれないが、自分が慣れ親しんでいる「善」を指しているように感じられる。つまり善悪という倫理観の基盤は共通だが、生活上の立ち居振る舞いのハウツーが人々の間の対立を招く素のように感じられたのである。ただ善行だけでは生きていけない、生活には知恵がないといけない、たとえ悪知恵であろうとも、というのが本書のバックボーンとなる考え方のように思われたのである。それはその通りかもしれないが、素直に受け容れられないのは自分だけのことなのだろうか。
ところで、13巻全てを読み終えるのはいつのことになるだろう?