万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

米朝“話し合い”路線のリスク-リベラルの‘まやかし’

2017年09月18日 15時35分12秒 | 国際政治
【環球異見・北朝鮮の核・ミサイル挑発】ウォールストリート・ジャーナル(米国)軍事攻撃は「最後の手段だ」「米国はまだすべての道具を使い切っていない」
アメリカによる軍事制裁、及び、北朝鮮の暴発リスクを抱えつつ、北朝鮮情勢については、何が起きてもおかしくない混沌とした状態が続いております。不測の事態もあり得る中、北朝鮮の後ろ盾となってきた中ロのみならず、ドイツのメルケル首相をはじめとするリベラル派を中心に、“話し合い”による解決が提唱されています。しかしながら、“話し合い”による解決を求める主張には、無自覚であれ、‘まやかし’があるように思えます。何故ならば、全く基本方針の違う米朝両国の“話し合い”路線を一緒くたにしているからです。

 アメリカの立場としては、北朝鮮問題の基本的性格は“国際刑事事件”であり、違法に所持した凶器(核兵器やICBM等)を振り回し、国際社会を脅迫する暴力主義国家への対応として側面が強く、武力行使も軍事的手段による危険の排除の意味合いが色濃くなります。いわば、犯人の手から凶器を取り上げる、即ち、国際社会における警察官の役割とも言えます。それ故に、アメリカが求める“話し合い”路線とは、警察官の突入前に降伏した犯人に対して、凶器の保管場所や製造場所を白状させ、これらを押収・破壊すると共に、二度と凶器を手にできないように厳重に監視することにあります。同路線における米朝対話とは、これらの目的を実現するための方法や手段を北朝鮮に通達する場なのです。
 
 一方、アメリカを“警察”ではなく“敵国”と見なす北朝鮮の立場からすれば、自国の核・ミサイルの保有・使用は、朝鮮戦争の延長線上にある“政治問題”です。北朝鮮は、武力による南北統一、並びに、自国の防衛を理由に、法で禁じられた兵器を開発・所有し、それを政治的目的のために利用しようとしてきました。ここに、国際法違反を伴う“国際刑事事件”の“政治問題”への巧妙なすり替えを見て取ることができます。しかしながら、たとえ“政治問題”であったとしても、北朝鮮が、朝鮮半島の統一を目的に“話し合い”の場を求めているとは思えません。その理由は、真に“話し合い”による南北の統一を願っているならば、そもそも核・ミサイルを開発する必要がないからです。言い換えますと、政治問題の解決のために核・ミサイルを開発したとすれば、その真の目的は、南北対等な立場での合意による統一ではなく、核を脅迫手段とした北朝鮮による赤化統一の強要としか考えられないのです。

加えて、北朝鮮の核・ミサイル開発の目的が、純粋に“政治問題”でもないことは、94年の米朝枠組み合意や六か国協議の経緯を見れば明らかです。核・ミサイルカードは、周辺諸国、並びに、国際社会から支援を騙し取る手段でしかなかったからです。核兵器、並びに、各種ミサイル等を保有した今日では、さらに犯罪性がアップし、“身代金要求”の脅迫手段となりつつあります。イギリスでは、アングロサクソン時代に、北欧のデーン人からの攻撃を免除してもらうために、デーンゲルトと呼ばれる貢納金を支払っていましたが、現代という時代にあって、北朝鮮は野蛮な無法時代の行為を蘇らせようとしているのです。そして、この立場からしますと、北朝鮮が意図する“話し合い”の場とは、“身代金”の額や、あるいは、貢納リストを相手方に示す場に過ぎないのです。

以上に述べたように、アメリカの基本的な“話し合い”のスタンスが、降伏した暴力国家に対する事後処理であり、北朝鮮のそれが、脅迫による赤化統一、あるいは、貢納の要求である限り、たとえ両国間で交渉の場が設けられたとしても、平行線を辿ることは目に見えています。しかも、平和の名の下で合意の成立を急ぐあまりに北朝鮮の路線に傾くような事態ともなれば、“脅迫”即ち国際犯罪の追認という“犯罪者の勝利”を迎えることとなりましょう。悪逆非道な独裁者が高笑いし、NPTを誠実に遵守してきた諸国が“馬鹿を見る”ような“話し合い”解決は、倫理に照らして間違っていると言わざるを得ないのです。

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コメント (4)
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