安保も消費税も…希望と民進、政策に「溝」
政治家は、常々、“改革”や“刷新”という言葉で国民を惹きつけます。根底からひっくり返えす “革命”はその極致ですが、特に現状に不満を抱く有権者が多いほど、これらの言葉は、悪弊や腐敗が一掃されて新しい時代が始まる予感を抱かせるのです。しかしながら、衆議院解散を機に俄かに噴出した政界再編の動きを見ていると、真に変えるべきは、政党の枠組ではなく、政治のシステムではないか、とする疑問が湧いてくるのです。
政界再編とは、既存政党間の離合集散に過ぎず、政党政治という枠組み内の再編成です。いわば、“コップの中の嵐”であり、たとえ新しい政党が誕生したとしても、“コップ”の中から出ることも、“コップ”を壊すこともできないのです。あくまでも政界における政治家達のグルーピングの変化であり、全体としてのその顔ぶれには然して変わりはありません。しかも、今般の日本国の政界再編は、外部から“コップ”の中をより明瞭に見えるように(操作できるように?)、凡そ二つに整理することを目的としており、新たなグルーピングに際しても、入党基準となる政治信条や基本的な政策方針を設けているわけでもありません。自民党は、しばしば左右が共存する包括政党と称されましたが、希望の党もまた、選挙での勝利を共通利益とする左右の寄せ集めとなったのです。
こうした政界の再編劇の結果として困惑し、窮地に立たされたのは、一般の日本国民です。これまで政治を舞台に鋭く対立していた政治家達が仲よく政党を同じくする同士として顔を揃えており、しかも、政策綱領を見ますと、どちらの政党を選択しても、政権政党による政策内容の取捨選択の如何によっては、国民にとりまして望ましい結果をもたらすとは思えないのです。
メディアが報じるところによれば、自民党を選択すれば、プラス面としては対北制裁強化や中国の軍拡や朝鮮半島有事に備えた防衛体制の整備が期待できる一方で、マイナス面としては、カルト系利益集団の公明党との連立のみならず、消費税率は10%に上がり一般国民の家計を圧迫します。一方、希望の党を選べば、プラス面としては10%消費税率上げが凍結されるとしても(ただし、永続性については不明…)、原発廃止は経済的にはマイナスに作用しますし、民進党が合流するのでは、防衛や安全保障面においても親中親北に転じる可能性があります。もっとも、両党のどちらを選んでも憲法改正への道筋がつくという点では、いずれにせよ、プラスの評価できるかもしれません(ただし、改憲内容によっては、マイナス評価となる可能性もあります)。
多党制は、一党独裁と比較すれば、国民が複数の政党の中から自由な選択できる点において、民主主義のメルクマールとされてきました。しかしながら、上述したように、政党が一方的に一括選択方式の政策綱領を作成し、その選択を、政治家を選出する選挙と同時に選ばせるシステムには、根本的な弱点があります。複数の政党が裏で結託したり、何れもが上部において操作されていたり、あるいは、何れの政党も一部の利益に奉仕する政党であるといった場合には、民主主義の証であるはずの多党制においても、国民の選択は無意味になるのです。政治的権利や自由は保障されていても、悪しき意図を持つ者によって具体的な選択肢が操作されれば、一党独裁よりは“まし”な程度であり、民主主義はもはや死滅したに等しくなります。
今般の政界再編劇は、まさに、民主的多党制の欠陥を露わにしています。現在、国民主権、民主主義、そして自由を守るために問われているのは、“コップ”の中の改革ではなく、内部から腐り、外部からの支配の道具となるリスクの高い“コップ”のままでよいのか、という統治制度に関わる根本的な問題なのではないでしょうか。投票率の低さは、政治システム自体への国民の不審や不信感を示唆しているのかもしれません。
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政治家は、常々、“改革”や“刷新”という言葉で国民を惹きつけます。根底からひっくり返えす “革命”はその極致ですが、特に現状に不満を抱く有権者が多いほど、これらの言葉は、悪弊や腐敗が一掃されて新しい時代が始まる予感を抱かせるのです。しかしながら、衆議院解散を機に俄かに噴出した政界再編の動きを見ていると、真に変えるべきは、政党の枠組ではなく、政治のシステムではないか、とする疑問が湧いてくるのです。
政界再編とは、既存政党間の離合集散に過ぎず、政党政治という枠組み内の再編成です。いわば、“コップの中の嵐”であり、たとえ新しい政党が誕生したとしても、“コップ”の中から出ることも、“コップ”を壊すこともできないのです。あくまでも政界における政治家達のグルーピングの変化であり、全体としてのその顔ぶれには然して変わりはありません。しかも、今般の日本国の政界再編は、外部から“コップ”の中をより明瞭に見えるように(操作できるように?)、凡そ二つに整理することを目的としており、新たなグルーピングに際しても、入党基準となる政治信条や基本的な政策方針を設けているわけでもありません。自民党は、しばしば左右が共存する包括政党と称されましたが、希望の党もまた、選挙での勝利を共通利益とする左右の寄せ集めとなったのです。
こうした政界の再編劇の結果として困惑し、窮地に立たされたのは、一般の日本国民です。これまで政治を舞台に鋭く対立していた政治家達が仲よく政党を同じくする同士として顔を揃えており、しかも、政策綱領を見ますと、どちらの政党を選択しても、政権政党による政策内容の取捨選択の如何によっては、国民にとりまして望ましい結果をもたらすとは思えないのです。
メディアが報じるところによれば、自民党を選択すれば、プラス面としては対北制裁強化や中国の軍拡や朝鮮半島有事に備えた防衛体制の整備が期待できる一方で、マイナス面としては、カルト系利益集団の公明党との連立のみならず、消費税率は10%に上がり一般国民の家計を圧迫します。一方、希望の党を選べば、プラス面としては10%消費税率上げが凍結されるとしても(ただし、永続性については不明…)、原発廃止は経済的にはマイナスに作用しますし、民進党が合流するのでは、防衛や安全保障面においても親中親北に転じる可能性があります。もっとも、両党のどちらを選んでも憲法改正への道筋がつくという点では、いずれにせよ、プラスの評価できるかもしれません(ただし、改憲内容によっては、マイナス評価となる可能性もあります)。
多党制は、一党独裁と比較すれば、国民が複数の政党の中から自由な選択できる点において、民主主義のメルクマールとされてきました。しかしながら、上述したように、政党が一方的に一括選択方式の政策綱領を作成し、その選択を、政治家を選出する選挙と同時に選ばせるシステムには、根本的な弱点があります。複数の政党が裏で結託したり、何れもが上部において操作されていたり、あるいは、何れの政党も一部の利益に奉仕する政党であるといった場合には、民主主義の証であるはずの多党制においても、国民の選択は無意味になるのです。政治的権利や自由は保障されていても、悪しき意図を持つ者によって具体的な選択肢が操作されれば、一党独裁よりは“まし”な程度であり、民主主義はもはや死滅したに等しくなります。
今般の政界再編劇は、まさに、民主的多党制の欠陥を露わにしています。現在、国民主権、民主主義、そして自由を守るために問われているのは、“コップ”の中の改革ではなく、内部から腐り、外部からの支配の道具となるリスクの高い“コップ”のままでよいのか、という統治制度に関わる根本的な問題なのではないでしょうか。投票率の低さは、政治システム自体への国民の不審や不信感を示唆しているのかもしれません。
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