多文化共生主義に基づく入国管理法の改正案は事実上の移民政策であり、かつ、‘海外ファースト’の原則の確立を意味するのですが、日本国政府の海外優先の姿勢は、この問題に限ったことではありません。人手のみならず、中小企業の後継者不足の問題までも、常に海外から人を国内に呼び込むことで解決しようとしております。あたかもそれが唯一絶対の方法であるかのように。また、日本から海外への逆方向の流れも加速させようとしています。例えば、食糧自給率が低下傾向にあるにも拘わらず、農産物の輸出にも熱心ですし、TPP11についても、中小企業の海外での事業展開を支援する方針を示しています。
グローバル化はビジネス・チャンスでもありますが、こうした‘海外ファースト’を原則とする一連の日本国政府の政策は、モノ、サービス、マネー、人、情報、技術といったあらゆる要素が国境を越えて自由に移動する‘グローバル市場’の形成に向けた国際レベルでの統合計画の一環なのでしょうか。現実の世界では、国民国家体系が国際秩序を保っており、経済分野であれ、様々な政策権限を国家が有し、国家の領域を枠組みとした法域を形成し、かつ、国家間の経済レベルには格差があります。この状態では、経済原理のみが支配する純粋な‘グローバル市場’は成立するはずもなく、無理にでもこの方向を進めようとしますと、国内経済が、幾つかのリスクや危機に直面するケースも予測されます。グローバル化に付随する問題は、昨今、関心を集めている移民問題のみではないのです。
第1のリスクは、他の国で発生したリスクが自国にまで連鎖的に波及する点です。1929年の世界恐慌の事例や2008年のリーマンショックを挙げるまでもなく、世界規模での経済の一体化は、一国の政策の失敗が他国の経済をも破滅に追いやるリスクがあります。特に、経済大国が震源地となる場合の世界レベルでの被害や損害は甚大です。経済自由化の流れの中で、各国とも自由化措置を急いできましたが、国境という危機を遮断するファイアー・ウォールが取り除かれた状態にあっては、最早延焼を防ぐことはできません。今般、トランプ政権の対中制裁関税は、自由貿易主義の流れに逆行する政策として批判を浴びていますが、ファイアー・ウォールの視点からしますと、中国発の世界規模の金融・経済危機の発生に備えた米経済の予防的遮断措置なのかもしれないのです。
第2のリスクは、グローバル市場への依存体質の深化による国内経済の脆弱化です。このリスクの事例としては、IMF主導で通貨危機をかろうじて乗り切った韓国経済を挙げることができます。同国は、IMFからの支援を受けるのと引き換えに、徹底したリストラ、並びに、選択と集中を含む新自由主義に軸を置く構造改革の実行を受け入れました。この結果、外需向けのサムスン、LG、現代、SKといった少数の財閥はグローバル企業として生き残りましたが、内需面での成長は疎かにされ、財閥系企業がコスト面から国外に製造拠点を移す動きと相まって、若年層を中心に失業率が高止まりした状態が続く結果をもたらしています。しかも、これらの財閥系企業も、中国系企業の急速な台頭により‘グローバル市場’で苦戦するに至りますと、同国は、内外両面において苦境に陥ることとなるのです。
第3に指摘すべきリスクは、不利な国際分業の固定化です。市場のグローバル化は、垂直的国際分業のみならず、水平的国際分業をも加速化させますが、それは、必ずしも、全ての諸国や国民に対して公平、かつ、利益となる体制の成立を意味するわけではありません。例えば、グローバル市場では、規模の経済が強く働きますので、日本国の場合には、国内では大企業であってもグローバルレベルでは中小企業となります。このため、近い将来、大企業は淘汰であれ外資による合併吸収であれ姿を消し、利益率の低い素材や部品提供の国、あるいは、観光地として位置付けられるかもしれません。また、グローバル企業群は、利益が最大化する国際分業体制の長期的な固定化を望みますので、この体制が崩れるような分業の再編、並びに、国レベルでの経済発展や独自の新産業創設に対しては否定的となりましょう(例えば、製造拠点国での賃金上昇は事業利益からすればマイナス要因であるため、現地の国民生活の向上にも後ろ向きに…)。
第4のリスクは、人材の流出です。グローバル市場の主要プレーヤーとなるグローバル企業群は、全ての国から最良の人材を集めることを願っています。このため、国家予算を投じて自国民に高いレベルの教育を施しても、その成果が自国の発展に還元されるとは限らないのです。グローバル企業群からしますと、義務教育過程であれ、各国の教育は自社のための人材養成、あるいは、選抜の場に過ぎず、国家の教育政策への‘フリーライド’こそが利益最大化の鍵です。また、個人負担による資格や技能制度の拡充も、社内教育のコストを下げるための方法の一つかもしれません。言い換えますと、国家レベルの教育は、人材の海外流出によって公費を費やすだけの意義が薄れてゆくのです。
第5に懸念すべき点は、資本移動の国際的な自由化によって生じる自国経済の全般的な外国支配です。株式会社制度とは、資金力を有する個人、あるいは、団体が経営権を握ることができるシステムです。国境を越えた資本移動が自由化されれば、自国内の企業の多くは、株式の取得によって外資系企業の傘下に入る可能性が高まります。さらに、近年、農業、漁業、エネルギー、並びにインフラ等分野でも民間企業の参入が目立っておりますが、資本移動の自由化と並行して民営化が行われますと、産業基盤や国民生活に直結する分野までもが国民の手を離れるかもしれません。‘現代の東インド会社’とも喩えられるような、民間企業による植民地支配が成立するかもしれません。
この他にも、人口大国にして共産主義国家である中国による政経一体化した覇権主義など、問題は多々ありますが、このまま日本国政府が‘海外ファースト’の方針を貫けば、日本経済は弱体化するでしょうし、最悪の場合には、海外発の恐慌の波に攫われるかもしれません。グローバル化がもたらす諸問題が明らかになった今日、むしろ、リスク管理の方向に向けた取り組みを要する時代が到来しているのではないでしょうか。この点からしますと、ファイアー・ウォールの再構築や内需の振興を含め、‘自国ファースト’の考え方は、グローバリズムに伴うリスクや危機に対する耐性強化という意味においても、方向性としては間違っていないように思えるのです。
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グローバル化はビジネス・チャンスでもありますが、こうした‘海外ファースト’を原則とする一連の日本国政府の政策は、モノ、サービス、マネー、人、情報、技術といったあらゆる要素が国境を越えて自由に移動する‘グローバル市場’の形成に向けた国際レベルでの統合計画の一環なのでしょうか。現実の世界では、国民国家体系が国際秩序を保っており、経済分野であれ、様々な政策権限を国家が有し、国家の領域を枠組みとした法域を形成し、かつ、国家間の経済レベルには格差があります。この状態では、経済原理のみが支配する純粋な‘グローバル市場’は成立するはずもなく、無理にでもこの方向を進めようとしますと、国内経済が、幾つかのリスクや危機に直面するケースも予測されます。グローバル化に付随する問題は、昨今、関心を集めている移民問題のみではないのです。
第1のリスクは、他の国で発生したリスクが自国にまで連鎖的に波及する点です。1929年の世界恐慌の事例や2008年のリーマンショックを挙げるまでもなく、世界規模での経済の一体化は、一国の政策の失敗が他国の経済をも破滅に追いやるリスクがあります。特に、経済大国が震源地となる場合の世界レベルでの被害や損害は甚大です。経済自由化の流れの中で、各国とも自由化措置を急いできましたが、国境という危機を遮断するファイアー・ウォールが取り除かれた状態にあっては、最早延焼を防ぐことはできません。今般、トランプ政権の対中制裁関税は、自由貿易主義の流れに逆行する政策として批判を浴びていますが、ファイアー・ウォールの視点からしますと、中国発の世界規模の金融・経済危機の発生に備えた米経済の予防的遮断措置なのかもしれないのです。
第2のリスクは、グローバル市場への依存体質の深化による国内経済の脆弱化です。このリスクの事例としては、IMF主導で通貨危機をかろうじて乗り切った韓国経済を挙げることができます。同国は、IMFからの支援を受けるのと引き換えに、徹底したリストラ、並びに、選択と集中を含む新自由主義に軸を置く構造改革の実行を受け入れました。この結果、外需向けのサムスン、LG、現代、SKといった少数の財閥はグローバル企業として生き残りましたが、内需面での成長は疎かにされ、財閥系企業がコスト面から国外に製造拠点を移す動きと相まって、若年層を中心に失業率が高止まりした状態が続く結果をもたらしています。しかも、これらの財閥系企業も、中国系企業の急速な台頭により‘グローバル市場’で苦戦するに至りますと、同国は、内外両面において苦境に陥ることとなるのです。
第3に指摘すべきリスクは、不利な国際分業の固定化です。市場のグローバル化は、垂直的国際分業のみならず、水平的国際分業をも加速化させますが、それは、必ずしも、全ての諸国や国民に対して公平、かつ、利益となる体制の成立を意味するわけではありません。例えば、グローバル市場では、規模の経済が強く働きますので、日本国の場合には、国内では大企業であってもグローバルレベルでは中小企業となります。このため、近い将来、大企業は淘汰であれ外資による合併吸収であれ姿を消し、利益率の低い素材や部品提供の国、あるいは、観光地として位置付けられるかもしれません。また、グローバル企業群は、利益が最大化する国際分業体制の長期的な固定化を望みますので、この体制が崩れるような分業の再編、並びに、国レベルでの経済発展や独自の新産業創設に対しては否定的となりましょう(例えば、製造拠点国での賃金上昇は事業利益からすればマイナス要因であるため、現地の国民生活の向上にも後ろ向きに…)。
第4のリスクは、人材の流出です。グローバル市場の主要プレーヤーとなるグローバル企業群は、全ての国から最良の人材を集めることを願っています。このため、国家予算を投じて自国民に高いレベルの教育を施しても、その成果が自国の発展に還元されるとは限らないのです。グローバル企業群からしますと、義務教育過程であれ、各国の教育は自社のための人材養成、あるいは、選抜の場に過ぎず、国家の教育政策への‘フリーライド’こそが利益最大化の鍵です。また、個人負担による資格や技能制度の拡充も、社内教育のコストを下げるための方法の一つかもしれません。言い換えますと、国家レベルの教育は、人材の海外流出によって公費を費やすだけの意義が薄れてゆくのです。
第5に懸念すべき点は、資本移動の国際的な自由化によって生じる自国経済の全般的な外国支配です。株式会社制度とは、資金力を有する個人、あるいは、団体が経営権を握ることができるシステムです。国境を越えた資本移動が自由化されれば、自国内の企業の多くは、株式の取得によって外資系企業の傘下に入る可能性が高まります。さらに、近年、農業、漁業、エネルギー、並びにインフラ等分野でも民間企業の参入が目立っておりますが、資本移動の自由化と並行して民営化が行われますと、産業基盤や国民生活に直結する分野までもが国民の手を離れるかもしれません。‘現代の東インド会社’とも喩えられるような、民間企業による植民地支配が成立するかもしれません。
この他にも、人口大国にして共産主義国家である中国による政経一体化した覇権主義など、問題は多々ありますが、このまま日本国政府が‘海外ファースト’の方針を貫けば、日本経済は弱体化するでしょうし、最悪の場合には、海外発の恐慌の波に攫われるかもしれません。グローバル化がもたらす諸問題が明らかになった今日、むしろ、リスク管理の方向に向けた取り組みを要する時代が到来しているのではないでしょうか。この点からしますと、ファイアー・ウォールの再構築や内需の振興を含め、‘自国ファースト’の考え方は、グローバリズムに伴うリスクや危機に対する耐性強化という意味においても、方向性としては間違っていないように思えるのです。
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