万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

移民政策の行く末を暗示するカナダ旭日旗撤去問題

2018年11月21日 15時16分30秒 | 国際政治
カナダの学校で旭日旗撤去 歴史教材、不快と生徒署名
日産の前会長のカルロス・ゴーン氏の逮捕をはじめ、最近、‘グローバリズム’の理想を‘グローバリスト’自身が打ち砕く事件が相次いでいるように思えます。そして、本日報じられたカナダのバンクーバーで起きた旭日旗撤去問題も、理想と現実とのギャップを際立たせているように思えます。

 旭日旗撤去問題とは、カナダのバンクーバー市に所在する中高一貫教育校において、教室の壁に教材として旭日旗が貼られたところ、これを‘不快’と感じた韓国系生徒等が「日本の戦争犯罪を想起させる」として署名活動を展開し、学校側に撤去させたとする事件です。何故、この事件がグローバリズムの理想を脆くも壊してしまうとかと申しますと、グローバリズムの宣伝文句では、グローバルな時代に生きる人々は、もはや、国籍、人種、民族、性別といったあらゆる属性から‘解放’された、最も‘進歩’、あるいは、‘進化’した人類と見なしているからです。

 今般の事件に見られる韓国系生徒たちは、表面的には‘グローバリスト’の申し子のような存在です。太平洋を隔ててカナダで学校生活を送り、おそらく、国籍についても、カナダ国籍取得者の子孫、あるいは、多重国籍者であるかもしれません。また、その行動を観察しましても、署名活動は、カナダ国内に留まらず、国境を越えて北米大陸にも展開しており、歴史問題で共闘関係にある中国系の人々とも連携していることでしょう。活動範囲のグローバル性に加えて、その撤去理由も、一先ずは、ナチスドイツと戦前の日本国を同一視し、戦争犯罪を糾弾するという論法を採用しており、普遍主義的な立場を装っています。

 しかしながら、彼らが、国籍、人種、民族といった属性から完全に‘解放’されているのか、と申しますと、現実は、その逆ではないかと思うのです。国籍の如何にこだわらず、また、地球上のどこに居住していても、韓国人のアイデンティティーを頑なに保持しつづけ、出身国である韓国、並びに、その主観的な‘歴史認識’に絶対的な忠誠を誓い(しかも客観的な事実とは異なる…)、同国の利益のために活動しているからです(所謂徴用工判決や慰安婦基金の解散など、韓国での反日政策は、目下、過激化の一途を辿っている…)。言い換えますと、彼らにとりましての‘グローバリズム’とは、自らの正体を隠す隠れ蓑、もしくは、敵視する相手を糾弾する方便でしかなく、その実態は‘過激なナショナリズム’であり、国境の内側に留まって相互に認め合う‘健全なナショナリズム’よりも、無境界の拡散性がある故に、厄介としか言いようがないのです(もっとも、)。

 人類の歴史を振り返りますと、古代ローマにあって、征服地から集められた多様な民族出身者が‘奴隷階級’として一緒くたに扱われたように、属性の消去は、必ずしも‘解放’を意味しません。それどころか、人類のみが、その分散定住に根差した多様な歴史や文化を有する存在であるとしますと、個々人から帰属集団の属性を消し去るという意味での‘解放’とは、人類が動物化することに他ならず、‘進歩’どころか‘後退’であり、‘進化’どころか‘退行’なのかもしれないのです。

 グローバリズムの時代にあっても属性を完全に払拭することはできないとする認識から、過渡的な措置として多文化共生主義が前段階として用意されたのでしょうが(同化政策では世界各国の固有の文化を破壊できないから…)、人は無色なモノではない以上、日本国内でも、バンクーバーと同様の事件が頻発することでしょう。韓国出身者は旭日旗のみならず、日の丸の撤去を求めるかもしれませんし、中国出身者は、日本国の教科書の内容にもクレームを付けることでしょう。事実よりも‘歴史認識’を重視する諸国は、自国のそれが日本国内で唯一絶対の‘公定の定説’の地位を得るまで決して満足しないかもしれません。人の自由移動が活発化するグローバル化の時代では、諸外国で起きた事件は、自国の国内でも当然に起こり得るのです。

 日本国政府は、入国管理法の改正により、事実上の移民政策を進めようとしておりますが、その先の混乱と破壊を見て見ないふりをしているとしましたならば、人類の動物化に加担する確信犯なのではないかと思うのです。

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コメント (14)
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