「政権信任」「野党に助けられた」=与党勝利で閣僚発言【17衆院選】
今般の衆議院選挙では、少子高齢化対策として、各政党とも揃って老齢世代に重点が置かれていた予算配分を若年層に厚くする政策を打ち出していました。政府もまた、全ての世代に対する社会保障を充実させる方針のようですが、“全世代型社会保障”とは、社会・共産主義化のことではないでしょうか。
老齢世代に社会保障が偏る主たる理由は、高齢化が、誰もが避けて通れない“リスク”であるからです。退職後にあっては、給与所得という安定的な収入源を失いますので、公的年金制度は国民の生涯を支える重要な所得リスクの管理制度と言えます。また、健康保険制度が高齢者に手厚く設計されている理由も、収入の減少に加えて身体機能が衰える高齢者ほど疾病に罹りやすい傾向にあり、健康リスクに応える必要があるからです。介護保険制度も同様ですが、社会保障制度の基本設計は、国民のリスク管理にあります。この観点からすれば、高齢者に社会保障の配分が偏るのも(もっとも、公的年金制度では保険料は国民負担…)、合理的な根拠がないわけではないのです。
社会保障制度の基本的な目的がリスク管理にあるとしますと、若年層や中年層に対する制度については、高齢者ほどには包括的、かつ、一律の制度を要するのか、疑問の余地があります。何故ならば、働き盛りの現役世代であるために所得リスクや健康リスクが殆どないか、極めて低く、リスク管理の必要性が比較的低いからです。社会保障の基本設計がリスク管理であるとしますと、リスクのない、あるいは、リスクの低い世代に対しては、所得リスクや健康リスク等に直面している人々に対象を絞ってセーフティーネットを提供する手法の方が、自由主義国における保守系政権では、むしろ一般的であったとも言えます。
その一方で、誕生から死に至るまでの国民の生涯を全面的に保障しようとする考え方は、ナショナル・ミニマムとも呼ばれ、社会・共産主義国において制度化されてきた歴史があります。社会・共産主義の社会保障制度にあってはリスク管理の意味合いは薄く、統制経済に組み込まれた配分システムとして機能してきたのです。その公的配分が、たとえ貧困レベルであったとしても。また、“揺り籠から墓場まで”と称されたように、イギリスなどの自由主義国でも、左派政権が誕生すると、同様の全世帯型の政策が実施されました。しかしながら、財政悪化、深刻なスタグフレーション、勤労意欲の低下、貧困の罠など、様々な経済的病理が観察されたため、80年代以降は、是正が試みられたのです。
こうした社会保障制度の基本的な考え方の違いを考慮した上で、全世代型社会保障を見ますと、統制経済との関連性はありませんし、政策目的も名目上は少子高齢化対策ですが、その発想や基本設計は、リスク管理よりも国民の全面的生涯保障に大きく傾いています(社会・共産主義と新自由主義の融合?)。この現象と並行するかのように、保守とリベラルとの境の曖昧化が議論されているように、今日の政治状況を見ますと、むしろ、政治全般における社会・共産主義化、あるいは、新種の全体主義化が、国民には見えない水面下において秘かに進行しているのではないかと疑うのです。
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老齢世代に社会保障が偏る主たる理由は、高齢化が、誰もが避けて通れない“リスク”であるからです。退職後にあっては、給与所得という安定的な収入源を失いますので、公的年金制度は国民の生涯を支える重要な所得リスクの管理制度と言えます。また、健康保険制度が高齢者に手厚く設計されている理由も、収入の減少に加えて身体機能が衰える高齢者ほど疾病に罹りやすい傾向にあり、健康リスクに応える必要があるからです。介護保険制度も同様ですが、社会保障制度の基本設計は、国民のリスク管理にあります。この観点からすれば、高齢者に社会保障の配分が偏るのも(もっとも、公的年金制度では保険料は国民負担…)、合理的な根拠がないわけではないのです。
社会保障制度の基本的な目的がリスク管理にあるとしますと、若年層や中年層に対する制度については、高齢者ほどには包括的、かつ、一律の制度を要するのか、疑問の余地があります。何故ならば、働き盛りの現役世代であるために所得リスクや健康リスクが殆どないか、極めて低く、リスク管理の必要性が比較的低いからです。社会保障の基本設計がリスク管理であるとしますと、リスクのない、あるいは、リスクの低い世代に対しては、所得リスクや健康リスク等に直面している人々に対象を絞ってセーフティーネットを提供する手法の方が、自由主義国における保守系政権では、むしろ一般的であったとも言えます。
その一方で、誕生から死に至るまでの国民の生涯を全面的に保障しようとする考え方は、ナショナル・ミニマムとも呼ばれ、社会・共産主義国において制度化されてきた歴史があります。社会・共産主義の社会保障制度にあってはリスク管理の意味合いは薄く、統制経済に組み込まれた配分システムとして機能してきたのです。その公的配分が、たとえ貧困レベルであったとしても。また、“揺り籠から墓場まで”と称されたように、イギリスなどの自由主義国でも、左派政権が誕生すると、同様の全世帯型の政策が実施されました。しかしながら、財政悪化、深刻なスタグフレーション、勤労意欲の低下、貧困の罠など、様々な経済的病理が観察されたため、80年代以降は、是正が試みられたのです。
こうした社会保障制度の基本的な考え方の違いを考慮した上で、全世代型社会保障を見ますと、統制経済との関連性はありませんし、政策目的も名目上は少子高齢化対策ですが、その発想や基本設計は、リスク管理よりも国民の全面的生涯保障に大きく傾いています(社会・共産主義と新自由主義の融合?)。この現象と並行するかのように、保守とリベラルとの境の曖昧化が議論されているように、今日の政治状況を見ますと、むしろ、政治全般における社会・共産主義化、あるいは、新種の全体主義化が、国民には見えない水面下において秘かに進行しているのではないかと疑うのです。
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少なくとも、この問題は、社会保障制度に関する基本的スタンスの大転換を意味するのですから、十分な議論と国民のコンセンサス形成を要するはずです。否、国民の大半も、社会・共産主義的手法に対しては懐疑的なのではないでしょうか。希望の党や維新の会なども、ベーシックインカムを主張しておりますが、こうした現象に、新自由主義を加味した新たなる”全体主義”の脅威を感じさせるのです…。