本日の日経新聞朝刊4面の記事に依りますと、今月25日、中南海において中国の王岐山国家副主席と創価学会原田稔会長が会談の場を設けたそうです。この記事により、創価学会が訪中団を結成している事実が分かるのですが、会談の席で、同副主席は「日中関係は良い方向に転換する局面を迎えている。両国政府が通る道であり、理性の勝利だ」と述べたとされています。
この発言の件にある‘理性の勝利’という言葉には、唖然とさせられざるを得ません。創価学会は、フランスやベルギー等ではカルト教団に認定されておりますし、共産主義もまた、政治理論としては矛盾に満ちており、既に論理破綻を起こしていることは、一般的な理性があれば誰でも理解できるからです。そもそも、独裁者や教祖を絶対視する個人崇拝と物事を道理に従って理解する理性とは対極にあり、両団体とも、信者に理性を捨てさせる、利得の提供で理性を曲げる、あるいは、洗脳や薬物等で理性を麻痺させない限り成立しないのです。
そして、創価学会と中国との親密な関係は、今般、イエズス会出身のフランシスコ法王の下で関係改善に動いたカトリックをも想起させます。イエズス会と共産党との間の組織原則の共通性は既に指摘されていますが、創価学会もまた、同系列の団体である可能性も否定はできないのです。これらの団体における組織上の主要な共通点としては、(1)トップに対するメンバーの絶対服従、(2)閉鎖的な秘密主義、(3)団結力と排他性、(4)政治権力志向(政教一元主義)、(5)国際志向等が挙げられます。こうした特徴は、創価学会にも見出すことができるのです。
(1)については、創価学会において池田大作名誉会長が事実上の‘教祖’として君臨してきた経緯に如実に現れています。しかも、‘教祖’は清廉潔白で純真な聖人や善人とは言い難く、野望を抱く俗物でも構わないようです
(2)の面を見ても、全ての信者が情報を共有しているとは限らず、幹部層が情報をコントロールする秘密主義が見られます。加えて、一般の信者は、外部の情報への自由なアクセスが制限されているともされ、信者達は、教団内部の狭い世界に閉じ込められているのです。しかも、外部の人々には誰が学会員であるのか知る術もなく、一般の人々が疑心暗鬼に陥ることにもしばしばです。
こうした特徴は、(3)とも繋がってきます。同教団では、トップを中心に信者の結束が求められ、トップの指令一つで全員が活動を開始する軍隊的な組織が形成されています。 一方、創価学会員間の強固な団結心は、信者ではない一般の人々に対しては、強い排他性、あるいは、攻撃性として働きます。例えば、芸能界の世界は創価学会員による独占状態にあるとする噂がありますが、この噂は、非学会員に対する排斥、あるいは、迫害行為とも言うべき排他志向の強い同教団の性格を言い表しているのかもしれません。
そして何よりも問題となるのが(4)として指摘した政治権力志向です。政権与党でもある公明党は創価学会を母体として設立されていますが、日本国憲法において政教分離が定められているにも拘わらず、同教団は、公然と政治活動に従事してきました。憲法を遵守するならば、中国の王岐山副主席と日本国のカルト教団の政治部門のトップが会談することなど、あり得ないことです。最高裁判所による司法判断の不在は同教団の政治活動を野放しにしており、日本国の国権が侵食され続けているのです。同教団の権力志向、並びに、権威主義が皇室にも及んでいることは、そのメンバーや宮内庁職員等を見れば否めない事実でもあります。
(5)の国際志向もまた、国家を内部から切り崩すリスクを孕みます。今般予定されている安倍首相の国連演説の内容が、露骨なまでに中国の希望に沿っているのも、おそらく、連立相手である公明党への配慮であるのかもしれません。創価学会インターナショナルの存在は、同教団が、既に日本国の国益よりも、‘教団利益’と結びついた‘世界利益’、即ち、イエズス会や共産主義勢力をも包摂する何らかの国際組織の利益を重んじる立場にあることを示しています。近年の国連の動きを見ましても、同組織もまた、その系列に属しているのかもしれません。
以上に述べてきましたように、政治と宗教との結びつきは、今や、政治権力と結びついた宗教団体(創価学会、統一教会…)、並びに、宗教団体と結びついた政治権力(中国共産党)の登場により、一般の国民にとりましては危険水域に達しつつあります。両者は、表面的には水と油に見えて、実のところ、国際ネットワークを介して世界規模で全体主義的な独裁体制への道を敷くという同一のミッションを担っているように見えるのです。
果たして、人類は、この危機から脱することはできるのでしょうか。この問題を解決するには、先ずは、成り行きで入信してしまった一般信者の方々が目を覚ます必要がありましょうし(理性、あるいは、批判精神の回復…)、このような団体が秘密主義を以って勢力を伸張させたからこそ、この問題を、タブーを排してオープンに議論する必要があるのではないでしょうか。仮に、同教団の人々が、一般の人々の疑問に答えようとしない、あるいは、議論を拒絶するとしますと(もっとも、議論を意図的に混乱させるのが同教団の得意の戦法であった…)、これこそ、理性の欠如の自己証明となるのではないかと思うのです。
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この発言の件にある‘理性の勝利’という言葉には、唖然とさせられざるを得ません。創価学会は、フランスやベルギー等ではカルト教団に認定されておりますし、共産主義もまた、政治理論としては矛盾に満ちており、既に論理破綻を起こしていることは、一般的な理性があれば誰でも理解できるからです。そもそも、独裁者や教祖を絶対視する個人崇拝と物事を道理に従って理解する理性とは対極にあり、両団体とも、信者に理性を捨てさせる、利得の提供で理性を曲げる、あるいは、洗脳や薬物等で理性を麻痺させない限り成立しないのです。
そして、創価学会と中国との親密な関係は、今般、イエズス会出身のフランシスコ法王の下で関係改善に動いたカトリックをも想起させます。イエズス会と共産党との間の組織原則の共通性は既に指摘されていますが、創価学会もまた、同系列の団体である可能性も否定はできないのです。これらの団体における組織上の主要な共通点としては、(1)トップに対するメンバーの絶対服従、(2)閉鎖的な秘密主義、(3)団結力と排他性、(4)政治権力志向(政教一元主義)、(5)国際志向等が挙げられます。こうした特徴は、創価学会にも見出すことができるのです。
(1)については、創価学会において池田大作名誉会長が事実上の‘教祖’として君臨してきた経緯に如実に現れています。しかも、‘教祖’は清廉潔白で純真な聖人や善人とは言い難く、野望を抱く俗物でも構わないようです
(2)の面を見ても、全ての信者が情報を共有しているとは限らず、幹部層が情報をコントロールする秘密主義が見られます。加えて、一般の信者は、外部の情報への自由なアクセスが制限されているともされ、信者達は、教団内部の狭い世界に閉じ込められているのです。しかも、外部の人々には誰が学会員であるのか知る術もなく、一般の人々が疑心暗鬼に陥ることにもしばしばです。
こうした特徴は、(3)とも繋がってきます。同教団では、トップを中心に信者の結束が求められ、トップの指令一つで全員が活動を開始する軍隊的な組織が形成されています。 一方、創価学会員間の強固な団結心は、信者ではない一般の人々に対しては、強い排他性、あるいは、攻撃性として働きます。例えば、芸能界の世界は創価学会員による独占状態にあるとする噂がありますが、この噂は、非学会員に対する排斥、あるいは、迫害行為とも言うべき排他志向の強い同教団の性格を言い表しているのかもしれません。
そして何よりも問題となるのが(4)として指摘した政治権力志向です。政権与党でもある公明党は創価学会を母体として設立されていますが、日本国憲法において政教分離が定められているにも拘わらず、同教団は、公然と政治活動に従事してきました。憲法を遵守するならば、中国の王岐山副主席と日本国のカルト教団の政治部門のトップが会談することなど、あり得ないことです。最高裁判所による司法判断の不在は同教団の政治活動を野放しにしており、日本国の国権が侵食され続けているのです。同教団の権力志向、並びに、権威主義が皇室にも及んでいることは、そのメンバーや宮内庁職員等を見れば否めない事実でもあります。
(5)の国際志向もまた、国家を内部から切り崩すリスクを孕みます。今般予定されている安倍首相の国連演説の内容が、露骨なまでに中国の希望に沿っているのも、おそらく、連立相手である公明党への配慮であるのかもしれません。創価学会インターナショナルの存在は、同教団が、既に日本国の国益よりも、‘教団利益’と結びついた‘世界利益’、即ち、イエズス会や共産主義勢力をも包摂する何らかの国際組織の利益を重んじる立場にあることを示しています。近年の国連の動きを見ましても、同組織もまた、その系列に属しているのかもしれません。
以上に述べてきましたように、政治と宗教との結びつきは、今や、政治権力と結びついた宗教団体(創価学会、統一教会…)、並びに、宗教団体と結びついた政治権力(中国共産党)の登場により、一般の国民にとりましては危険水域に達しつつあります。両者は、表面的には水と油に見えて、実のところ、国際ネットワークを介して世界規模で全体主義的な独裁体制への道を敷くという同一のミッションを担っているように見えるのです。
果たして、人類は、この危機から脱することはできるのでしょうか。この問題を解決するには、先ずは、成り行きで入信してしまった一般信者の方々が目を覚ます必要がありましょうし(理性、あるいは、批判精神の回復…)、このような団体が秘密主義を以って勢力を伸張させたからこそ、この問題を、タブーを排してオープンに議論する必要があるのではないでしょうか。仮に、同教団の人々が、一般の人々の疑問に答えようとしない、あるいは、議論を拒絶するとしますと(もっとも、議論を意図的に混乱させるのが同教団の得意の戦法であった…)、これこそ、理性の欠如の自己証明となるのではないかと思うのです。
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創価学会とイエズス会、共産党が実は同一のミッションを担っている、との趣旨にはっとさせられました。
何故なら皇室の内部や周辺にはこれらの勢力に関わりを持つ者が大勢いるからです。
来年に迫った、新天皇の即位により、日本にさらなる危機が訪れることを危惧しています。
ご報告が遅れましたが、こちらの記事を、remmikki様のブログに紹介させていただきました。
これからも、倉西様の記事を楽しみにしております。
有難うございました。
皇室の異常性は、最早、国民に広く知られるところとなっているように思えます。特に、明らかに別人の’愛子さん’が公式会見の席に登場したことが、致命的であったかもしれません。こうした陰謀めいた事件が相次ぎますと、現皇室は、何らかの組織の傀儡なのではないか、とする疑いが強くなります。伝統の維持よりも、上から、あるいは、内部からの伝統破壊の使命を帯びているようにも見えるからです。そしてそれは、創価学会、イエズス会、共産党とも、水面下において脈を通じているとしか考えようがないのです。
こちらこそ、今後とも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。