AI技術を用いた死後における精神転送については、霊魂の在・不在の問題と切り離すことが出来ないという難問が立ちはだかっています。霊魂が存在すれば、魂は、天国もしくは地獄に向かうか、浮遊するか、あるいは、消滅してしまいますので、首尾良くAIに自らの意思を移行させられるとは限りません。また、魂が存在しないとすれば、たとえ精密に転送を希望する当人の脳の電子回路を再現させたとしても、同AI自体が自我を持ってしまう可能性もあるからです。そして、もう一つ、魂の存在に関連する問題として挙げられるのが、精神転送に成功したとしても、それは、必ずしもAIの技術に因るものではない可能性です。
古来、日本国では、死者の魂の依り代という考え方がありました。神道にあっては白木で御霊璽を、仏教にあっては漆塗りの御位牌をつくるのも、この死生観に基づいています。例えば、神道では、人が亡くなりますとその魂は日の若宮にゆきますが、残された家族や子孫を見守るため、あるいは、時々、様子を見に現世に戻ってくると考えられています。その時、魂が宿る依り代となるのが、故人の神名を記した御霊璽とされるのです。また、依り代が人となる場合もあります。よく知られているのが、青森県の恐山のいたこの人々であり、高い霊能力を身につけたいたこの人々は、亡くなった人の霊を呼び寄せて、自らに憑依させることで、死せる人々が生ける人々と会話することができるのです。
科学技術が発展した時代にあっては、魂や神などに関する伝統的な考え方は非合理的な迷信と見なされがちですが、近現代の科学者の中には、真剣に魂の存在と向き合った人も少なくありません。アイザック・ニュートンは、最期には神の存在証明に傾倒してきましたし、有人飛行の可能な飛行機を初めて設計し、脳の構造を解明し、さらにはニューロンの存在をも予測した知の巨人、エマヌエル・スウェーデンボルクも、天界に関する研究を行なっています。発明王と称されるトーマス・エジソンも、エネルギーとしての魂の永遠性を信じ、死者と交信し得る装置の発明に取り組んだとされます。今日、物理学の最先端ともされる量子論が魂の存在性の問題に急速に接近しているように、両者は真っ向から対立しているように見えながら、その実、科学とオカルトは紙一重であるとも言えましょう。
さて、現代におけるAIによる精神転生は、デジタル時代の近未来技術としてその実現が待望されています。テクノロジーが、遂に不老不死という、秦の始皇帝をはじめ、古来、永遠の支配を欲する権力者が熱望してきた願望を実現するという文脈なのですが(今日では、大富豪・・・)、自己意識の移転や継続性は、霊魂の問題が絡まってきますので、見方によっては、エジソンの降霊装置の焼き直しとも言えます。それが木片であれ、精密な機械であれ、何であれ、死者の霊、あるいは、人の意識が宿るという現象においては変わりがないからです。
このように考えますと、精神転送の開発に血眼となっている大富豪は、死後に恐山で呼び出してもらうか、能力が高いとされる霊媒者を高給を以て雇用しておいた方が、自らの意思を生きている人々に伝達できる可能性が高いと言えましょう。何故ならば、仮に魂が存在するならば、敢えて自らの脳内の電気回路を再現する必要はないからです。つまり、霊魂は、他者である霊媒師の電気回路、すなわち、口を借りることができるのですから。その時語られる大富豪の霊界における居場所は、果たして天国なのでしょうか、それとも、地獄なのでしょうか。あるいは、霊媒師は、必至になって降霊を試みた末に、この人の魂は既に消えている!と告げるのでしょうか。大変、興味深いところなのです。
古来、日本国では、死者の魂の依り代という考え方がありました。神道にあっては白木で御霊璽を、仏教にあっては漆塗りの御位牌をつくるのも、この死生観に基づいています。例えば、神道では、人が亡くなりますとその魂は日の若宮にゆきますが、残された家族や子孫を見守るため、あるいは、時々、様子を見に現世に戻ってくると考えられています。その時、魂が宿る依り代となるのが、故人の神名を記した御霊璽とされるのです。また、依り代が人となる場合もあります。よく知られているのが、青森県の恐山のいたこの人々であり、高い霊能力を身につけたいたこの人々は、亡くなった人の霊を呼び寄せて、自らに憑依させることで、死せる人々が生ける人々と会話することができるのです。
科学技術が発展した時代にあっては、魂や神などに関する伝統的な考え方は非合理的な迷信と見なされがちですが、近現代の科学者の中には、真剣に魂の存在と向き合った人も少なくありません。アイザック・ニュートンは、最期には神の存在証明に傾倒してきましたし、有人飛行の可能な飛行機を初めて設計し、脳の構造を解明し、さらにはニューロンの存在をも予測した知の巨人、エマヌエル・スウェーデンボルクも、天界に関する研究を行なっています。発明王と称されるトーマス・エジソンも、エネルギーとしての魂の永遠性を信じ、死者と交信し得る装置の発明に取り組んだとされます。今日、物理学の最先端ともされる量子論が魂の存在性の問題に急速に接近しているように、両者は真っ向から対立しているように見えながら、その実、科学とオカルトは紙一重であるとも言えましょう。
さて、現代におけるAIによる精神転生は、デジタル時代の近未来技術としてその実現が待望されています。テクノロジーが、遂に不老不死という、秦の始皇帝をはじめ、古来、永遠の支配を欲する権力者が熱望してきた願望を実現するという文脈なのですが(今日では、大富豪・・・)、自己意識の移転や継続性は、霊魂の問題が絡まってきますので、見方によっては、エジソンの降霊装置の焼き直しとも言えます。それが木片であれ、精密な機械であれ、何であれ、死者の霊、あるいは、人の意識が宿るという現象においては変わりがないからです。
このように考えますと、精神転送の開発に血眼となっている大富豪は、死後に恐山で呼び出してもらうか、能力が高いとされる霊媒者を高給を以て雇用しておいた方が、自らの意思を生きている人々に伝達できる可能性が高いと言えましょう。何故ならば、仮に魂が存在するならば、敢えて自らの脳内の電気回路を再現する必要はないからです。つまり、霊魂は、他者である霊媒師の電気回路、すなわち、口を借りることができるのですから。その時語られる大富豪の霊界における居場所は、果たして天国なのでしょうか、それとも、地獄なのでしょうか。あるいは、霊媒師は、必至になって降霊を試みた末に、この人の魂は既に消えている!と告げるのでしょうか。大変、興味深いところなのです。