英国のEU離脱問題「ブレキジット(Brexit)」、英国は何が不満なの?
アメリカでは、連邦を構成する州の間において、米市民は自由に移動することができます。現在の合衆国憲法では、連邦国家化により当然視されたこともあって、明文の規定は設けられておりませんが、合衆国を建国する以前の1777年に制定されたアメリカ連合規約の第4条には、各州住民の他州への自由移動と他州市民の内国民待遇を定めています。
今日のEUにあっても、”EUは、やがて超国家(連邦国家)になるのか、あるいは、独立主権国家が集う連合の形態を維持するのか”という、将来像をめぐる議論があります。アメリカの事例を踏まえると、人の自由移動の実現は連邦国家への一里塚であり、前者の立場を支持する人々にとりましては、人の自由移動の実現は譲れない一線です。欧州委員会委員長のユンケル氏が、イギリスとの交渉で何としても回避したかったのも、人の自由移動の原則の崩壊であったはずです。その一方で、後者の立場からしますと、国境管理権のEUへの移譲は自国の独立をも損ないかねない重大事となります。
先日に成立した妥協案では、人の自由移動の原則は辛うじて維持される一方で、キャメロン首相は、妥協案を受け入れて残留した場合でも、超国家としてのEUには参加せず、加盟国として内部改革を進めることを表明しております。このため、今年6月に予定されているイギリスの国民投票の結果、離脱派が勝利すれば、イギリスは、将来の連邦国家構想から早々に抜けることになりますが、残留を決定した場合でも、EU内部において、連合派と連邦派との対立が激化することが予想されるのです。そしれそれは、国民国家の行方をも問うことになります(移民国家において実現した人の自由移動は、多様性に満ちたヨーロッパにおいても適用され得るのか?)。
主権的権限と言いますと、兎角に防衛、安全保障、外交等に関する権限がイメージされておりますが、国家とは、領域のみならず国民をも枠組みとしておりますので、国境管理の権限の所在もまた、国家や国際組織のあり方を決定する重要要素です。EUの将来像をめぐる連合vs連邦の対立は、今に始まったわけではありませんが、イギリスのEU離脱問題は、EUの将来像をめぐる議論を再燃させる契機ともなるのではないか、と憶測するのです。
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アメリカでは、連邦を構成する州の間において、米市民は自由に移動することができます。現在の合衆国憲法では、連邦国家化により当然視されたこともあって、明文の規定は設けられておりませんが、合衆国を建国する以前の1777年に制定されたアメリカ連合規約の第4条には、各州住民の他州への自由移動と他州市民の内国民待遇を定めています。
今日のEUにあっても、”EUは、やがて超国家(連邦国家)になるのか、あるいは、独立主権国家が集う連合の形態を維持するのか”という、将来像をめぐる議論があります。アメリカの事例を踏まえると、人の自由移動の実現は連邦国家への一里塚であり、前者の立場を支持する人々にとりましては、人の自由移動の実現は譲れない一線です。欧州委員会委員長のユンケル氏が、イギリスとの交渉で何としても回避したかったのも、人の自由移動の原則の崩壊であったはずです。その一方で、後者の立場からしますと、国境管理権のEUへの移譲は自国の独立をも損ないかねない重大事となります。
先日に成立した妥協案では、人の自由移動の原則は辛うじて維持される一方で、キャメロン首相は、妥協案を受け入れて残留した場合でも、超国家としてのEUには参加せず、加盟国として内部改革を進めることを表明しております。このため、今年6月に予定されているイギリスの国民投票の結果、離脱派が勝利すれば、イギリスは、将来の連邦国家構想から早々に抜けることになりますが、残留を決定した場合でも、EU内部において、連合派と連邦派との対立が激化することが予想されるのです。そしれそれは、国民国家の行方をも問うことになります(移民国家において実現した人の自由移動は、多様性に満ちたヨーロッパにおいても適用され得るのか?)。
主権的権限と言いますと、兎角に防衛、安全保障、外交等に関する権限がイメージされておりますが、国家とは、領域のみならず国民をも枠組みとしておりますので、国境管理の権限の所在もまた、国家や国際組織のあり方を決定する重要要素です。EUの将来像をめぐる連合vs連邦の対立は、今に始まったわけではありませんが、イギリスのEU離脱問題は、EUの将来像をめぐる議論を再燃させる契機ともなるのではないか、と憶測するのです。
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イギリスも、ハドリアヌスの壁以南はローマ帝国の版図に入っており、ローマン・ブリテン時代がありしたが、ローマ軍は大ブリテン島から撤退しております。その後、ローマ系とも、ケルト系とも推測されるブリトン人の諸王国が建設されましたが、ゲルマン系のアングロ・サクソン人により追い払われ、アングロ・サクソン諸王国による七王国時代へと至りました。イギリス法を見ましても、ローマ法を継受した大陸諸国とは異なり、独自のコモン・ロー体系を発展させております。こうした歴史に加えて、地政学的には、イギリスが、島国であったことも多分に影響しているかもしれません。