1947年11月29日に国連総会で成立した決議181号(Ⅱ)は、パレスチナ分割決議として知られています。しかしながら、同決議において、経済同盟の結成が定められていることを知る人は、今ではほとんどいないのかもしれません。同決議は、アラブ人とユダヤ人の双方に独立した主権国家の建国を認める一方で、聖地イエルサレムを事実上の国連の信託統治下に置く三分割案でもありました。そして、仮に同決議が実現していれば、経済同盟によって、これら三者を一つの枠組みに組み込まれていたのです。それでは、パレスチナ分割決議が定めた経済同盟とは、一体、どのような構想であったのでしょうか。
パレスチナ経済同盟は、(1)関税同盟、(2)単一の外国為替相場を有する共同通貨システム、(3)鉄道、高速道路、郵便、通信サービス、国際貿易港や国際空港を含む港湾や空港を基盤とした共通の公益事業の実施、(4)灌漑、干拓、並びに土壌保全を中心とした共同の経済開発、(5)両国及びイエルサレムの三者における平等な水資源・電力へのアクセスの5つの対象分野によって構成されています。(1)の関税同盟を結成しますと、共通関税や収益からもたらされる財源が生じますので、部分的な共通財政も意味します。この点、相互に関税率をゼロにする自由貿易圏一般とは異なり、政治分野に足を踏み入れていることとなりましょう(ヨーロッパに喩えれば、EECの段階に近い・・・)
これらの5つの領域を自由移動の観点から見ますと、関税同盟の結成により三者の間に関税の壁はなくなりますので、‘もの’の自由移動が実現することが分かります。また、将来的には各自による中央銀行の設立を予定しつつも、事実上、共通の単一通貨が発行されます。つまり、パレスチナ一帯において、通貨が自由に流通する状況を想定しているのです。それでは、‘人’についてはどうでしょうか。‘人’について、同決議は、国境を越える通過と訪問の自由(Freedom of transit and visit)を定めています。居住に関する権限については認められていないものの、アラブ人国家の国民もユダヤ人国家の国民も、一先ずは、ヴィザなしで自由に国境を越えることが出来るのです。完全なる人の自由移動とまでは言わないまでも、‘人’を労働力、あるいは、サービスの提供者として捉えますと、経済的な意味における‘人の自由移動’は凡そ実現していることとなりましょう。
同決議案は、アラブ人の国家、即ち、パレスチナ国の建国は予定通りとはいかなかったものの、イスラエルの建国に法的根拠を与えております。つまり、完全に死文化されたわけではないのですが(仮に死文化すると、イスラエルは自国の存在を支える法的根拠を失う・・・)、経済同盟の構想も、半ば生き続けているように思えます。パレスチナ側の経済発展や国民の生活水準の向上に資するような共通政策は実現していませんが、移動の自由については、それを認めることができるからです。
例えば、パレスチナの現状を見ますと、テロを理由にパレスチナ人がイスラエルに入国する際には、厳重なチェックを要するものの、逆に、イスラエルの人々は、自由にパレスチナの領域に出入りしているそうです。また、イスラエルに職を得ており、朝、ガザ地区からイスラエルに出勤し、夕方に同地区に帰るパレスチナ人も少なくないそうです。否、イスラエル人が自由に出入りできたからこそ、軍事力とマネー・パワーに優るイスラエルが、パレスチナ領域内で土地の買い占めを進め、自国民の入植者を増やし(居住に関するパレスチナ国の権限は無視・・・)、かつ、イスラエル企業がパレスチナ経済を牛耳ることとなったのかもしれません。飲料水でさえ、ガザ住民は、イスラエル企業から買わなければならないぐらいなのですから。
国家間に経済格差がある場合、両国間の各種要素の自由移動は、一方の一方に対する依存、あるいは、隷属関係をもたらすリスクがあります。イスラエルとパレスチナとの関係を見る限り、経済同盟構想において方向付けられた移動の自由が、パレスチナにイスラエルに対する劣位を決定づけているようにも見えるのです。そして、パレスチナの悲劇は、移動の自由が強力に推進されているグローバリズムの時代にあって、決して他人事ではないように思えてくるのです。