トマ・ピケティ氏が紹介している「ア・ランド・フォー・オール」のイスラエル・パレスチナ連邦構想では、「労働法」、「水資源の共有・分配」、「公共インフラ・教育インフラ・医療インフラの財源確保」の三つの分野を、両国を結びつける基本的な共通政策領域として考えているようです。しかしながら、これらの三つ何れの政策領域を見ましても、むしろ、両国間の亀裂が深まるばかりとなりそうです。何故ならば、両国間には、歴然とした経済格差があるからです。
そもそも、「ア・ランド・フォー・オール」が「労働法」の分野を第一番目に挙げたのは、イスラエルにおけるパレスチナ人の労働条件が、劣悪であるとする認識によるものと推測されます。今日、両国間の国民所得の格差は凡そ数十倍ともされ、しかも、ガザ市民の多くは、イスラエルにて就業せざるを得ない状況にあります。パレスチナ人が低賃金で雇用されていることは明白であり、「労働法」が共通化されれば、イスラエルの雇用者はパレスチナ人を自国民と同条件で雇わざるを得なくなりますので、パレスチナ人の所得水準は大幅にアップすることでしょう。パレスチナ人を安価な労働力と見なすイスラエル姿勢が今日の紛争の一因でもありますので、「労働法」の共通化は、紛争原因の一つを取り除くことなのです。しかしながら、その一方で、同共通化は、利益第一主義のイスラエルに採りましてはメリットがありませんので、合意形成が困難を極めることが予測されるのです。
二番目に挙げられて入れる「水資源の共有・分配」についても、古来、水資源や水利権が国家や部族間の紛争の主要な原因となってきた点を考慮しますと、極めて難しい政策領域です。比較的水資源の豊富な日本国では強く意識されませんが、降水量の少ない乾燥地帯等では、水資源の確保は死活問題です。実際に、1993年のオスロ合意及びその議定書では、パレスチナ側の水資源が保護され、両者間にあって「共同水利委員会」が設置されたものの、同委員会は機能停止状態にあります。このため、イスラエルとの共同管理下にある沿岸滞水帯に水供給を依存しているガザ地区では、イスラエルに同水源の配分権を握られているため、恒常的な水不足が続いています。ヨルダン川地表水の利用もブロックされているため、ガザ地区の人々は、イスラエルの水会社から高い価格で水を購入しなければならない状況下に置かれているのです。一日当たりの水の使用量を比較しますと、イスラエルが240リットルなのに対して、パレスチナは僅か73リットルほどに過ぎないそうです。オスロ合意を反故にし、かつ、ガザ地区を兵糧攻めにしているイスラエルが、快く水資源をパレスチナ側のために手放すとは思えず、第二の共通政策領域についても暗雲が立ちこめているのです。
そして、第三の共通政策領域である「公共インフラ・教育インフラ・医療インフラの財源確保」については、上記の2領域にも増して悲観的にならざるを得ません。何故ならば、同政策は、まさしくイスラエルからパレスチナへの財政移転を意味するからです。両国の現状を見ますと、公共設備であれ、教育であれ、医療であれ、いずれもパレスチナにおいて整備を要します。しかも、今般のイスラエル・ハマス戦争にあってはイスラエルの空爆等によりガザ地区は壊滅状態にあり、その復興資金だけでも莫大な額に上りましょう。イスラエルは、パレスチナ人の生活水準が凡そイスラエルと同レベルに収斂されるまで、財源を提供し続けなければならないのです。その間、イスラエル国内への公共投資の予算は削られる共に、国民の生活水準も低下することでしょう。それとも、イスラエルからの巨額の公共投資によりパレスチナ経済が急速な成長と発展を見せ、イスラエル・パレスチナ連邦国家の下で、両国は、未曾有の共存共栄を享受するのでしょうか(東欧拡大後のEUの現状からするとかなり難しい・・・)。
何れにしましても、現状を見る限り、イスラエル・パレスチナ連邦構想が実現する見込みは薄いように思われます。そして、連邦制構想を機に考えるべきは、むしろ、パレスチナの惨状を招いた元凶こそ、1947年の国連総会におけるパレスチナ分割決議と称される国連総会決議181号(Ⅱ)で定められた、‘人の自由移動’等を伴う経済同盟プランではなかったのか、という疑いなのです(つづく)。