ウクライナのゼレンスキー大統領が語った‘NATOか、核武装か’の二者択一、すなわち、‘NATOを選択すればヨーロッパは平和であり、核武装を選択すれば戦争になる’とする見解は、選択とその結果との因果関係に論理性が欠けており、この言葉を聴く人々を困惑させます。常識的に考えれば、ウクライナがNATOを選択すればヨーロッパに戦火が広がり、核武装を選択すれば、ヨーロッパは平和でいられるものと予測されるからです。つまり、同大統領は、全く逆のことを言っているのです。
戦争という極限の緊張状態にあって耐えがたいストレスに押しつぶされ、ゼレンスキー大統領は、正常な判断力や思考力を失ってしまったのでしょうか。戦争は、多くの人々の精神を病ませてしまうものです。その一方で、ゼレンスキー大統領の口から同発言が語られた理由は、ある一つの仮説を置きますと、自ずと理解されてくることとなります。その仮説とは、ロシアのプーチン大統領との‘共演’です。
ゼレンスキー大統領の発言の日付は、2024年10月17日です。その翌日、10月18日には、プーチン大統領が同発言に対して俊敏な反応を見せています。この反応の早さにも驚かされるのですが、報道に依りますと、プーチン大統領は、ゼレンスキー大統領に言い返す形で、‘そのような脅迫は、ロシアから相応の反応を引き出すだろう’と述べたそうです。‘脅迫’の具体的な内容は詳らかではないものの、同発言から、プーチン大統領が、ゼレンスキー大統領の上記の発言を自国に対する‘脅迫’として理解したことが分かるのです。マスメディアの編集によって省略されてしまったのかも知れないのですが、このプーチン大統領発言の意味は、ゼレンスキー大統領の言い訳じみた返答によって明らかとなります。
それでは、ゼレンスキー大統領がプーチン大統領に対してどのように応じたかと申しますと、‘核兵器製造の準備をしているとは言っていない’と弁明しているのです。ここに、プーチン大統領の‘脅迫’の対象が、ウクライナの核武装であることが判明するのです。マスメディアは、‘いかなる状況でも許さない’とするプーチン大統領の決意まで伝えています。
ウクライナ核武装を断じて許さないとするプーチン大統領の発言の時期が、ゼレンスキー大統領による弁解の後であったのか、それ以前であったのかは、報道された記事だけでは分かりません。しかしながら、少なくとも、戦争当事国の両大統領同士が、あたかも直接に対面して会話しているかの如くに、メディアは、両者の間の核をめぐる応酬をリアルタイム風に報じているのです。
プーチン大統領は、死亡説や引きこもり説が流布されるほど、その所在のみならず動向を正確に掴むことも難しいとされているにもかかわらず、核問題については、かくも迅速な反応を示しています。そして、何よりも不自然であるのが、ゼレンスキー大統領の対応なのです。プーチン大統領の‘脅し’に全面的に屈服しているのですから。戦争相手国のトップによる言葉の威嚇に素直に屈するなど、本来であればあり得ないことです(戦争も、恫喝で終わるはず・・・)。
仮に、プーチン大統領の言う‘相応の反応’が、ウクライナに対するロシアの核攻撃を意味するならば、ゼレンスキー大統領は、むしろ、ロシアによる核兵器の使用を根拠として、NPTの第10条に基づいて脱退を表明するか、NPTの終了を主張することもできるはずです。核保有国がその使用をもって非核保有国を威嚇しているのですから、最低限、国際社会に対してNPT体制の不条理を訴えることはできるはずです。あるいは、‘相応の反応’が通常兵器による攻撃の強化であるとすれば、ロシア軍には余力があり(北朝鮮からの援軍は不要?)、全力でウクライナと戦争を行なっているわけではないことを示すことにもなります。一方のゼレンスキー大統領も、既に通常兵器による激戦状態にあるのですから、核武装を諦めるほどの威嚇ではないはずなのです。
ゼレンスキー大統領の対応を見る限り、同大統領は、自国と自国民を護るために最善を尽くしているとは言えないようです。そして、この不自然極まりない両大統領間の言葉の‘やりとり’こそ、それが予め台詞の用意された茶番である可能性を強く示唆しているように思えるのです(つづく)。