7日朝8時15分からNHK・Gで放送された「田部井淳子 最後の山へ」で
「一歩一歩進めば必ず頂上にたどり着ける」。田部井淳子さんが残したメッセージに
心を打たれました。
去年7月被災地東北の高校生90名を連れて、雨降る富士登山に行った田部井さん。
その時彼女はガンが脳まで転移していたというのです。
今までエベレストに登った時が一番つらかったと言っていたのに、富士登山の途中で
「エベレストの時よりつらい」と夫の政伸さんに告げる田部井さん。
政伸さんのストックにつかまって、やっと一歩登れる状態。
とうとう7合目で登る事を断念します。
それでも雲海がピンクに染まるのを見て感動し、下にいる高校生にも見るように
伝えてと指示します。
登るときはどんなにつらくとも、登り切った時の達成感を味わってほしいと願う
田部井さんの気持ちが伝わってきます。
7合目で頂上に向かう高校生を励まして送り出します。
「ゆっくり ゆっくり 一歩 一歩」
そして先に下山を開始していた田部井さんの元に、高校生全員が無事に登頂したと
連絡が入ります。
その時の田部井さんのうれしそうな顔、それからわずか3ケ月で亡くなられたのですから
どれほど体がつらかったかは想像に余りありますね。
エベレストに行くとき、幼かった長女が泣いていやがった話は、いつもと違う雰囲気を
感じたためだろうと言う政伸さん。無事に帰れる保証はないわけですから。
事実、エベレストでは雪崩に合い負傷者も出たのですから。
その時もみんなが撤退をいう中で、田部井さんは決行を主張して登頂を果たして
しまいます。
女性が山に登る事に批判的だった社会的風潮が、それを境にして変わっていきます。
いわば女性の社会進出の先駆者でもあったといえるでしょう。
政伸さんとの付き合うようになったエピソードがほほえましいですね。
天国に行った田部井さんに感謝を込めて
筑西市・母子島遊水地の朝、ここはダイヤモンド筑波山とか逆さ筑波山で有名
「一歩一歩進めば必ず頂上にたどり着ける」。田部井淳子さんが残したメッセージに
心を打たれました。
去年7月被災地東北の高校生90名を連れて、雨降る富士登山に行った田部井さん。
その時彼女はガンが脳まで転移していたというのです。
今までエベレストに登った時が一番つらかったと言っていたのに、富士登山の途中で
「エベレストの時よりつらい」と夫の政伸さんに告げる田部井さん。
政伸さんのストックにつかまって、やっと一歩登れる状態。
とうとう7合目で登る事を断念します。
それでも雲海がピンクに染まるのを見て感動し、下にいる高校生にも見るように
伝えてと指示します。
登るときはどんなにつらくとも、登り切った時の達成感を味わってほしいと願う
田部井さんの気持ちが伝わってきます。
7合目で頂上に向かう高校生を励まして送り出します。
「ゆっくり ゆっくり 一歩 一歩」
そして先に下山を開始していた田部井さんの元に、高校生全員が無事に登頂したと
連絡が入ります。
その時の田部井さんのうれしそうな顔、それからわずか3ケ月で亡くなられたのですから
どれほど体がつらかったかは想像に余りありますね。
エベレストに行くとき、幼かった長女が泣いていやがった話は、いつもと違う雰囲気を
感じたためだろうと言う政伸さん。無事に帰れる保証はないわけですから。
事実、エベレストでは雪崩に合い負傷者も出たのですから。
その時もみんなが撤退をいう中で、田部井さんは決行を主張して登頂を果たして
しまいます。
女性が山に登る事に批判的だった社会的風潮が、それを境にして変わっていきます。
いわば女性の社会進出の先駆者でもあったといえるでしょう。
政伸さんとの付き合うようになったエピソードがほほえましいですね。
天国に行った田部井さんに感謝を込めて
筑西市・母子島遊水地の朝、ここはダイヤモンド筑波山とか逆さ筑波山で有名