順序が逆になりましたが「おふさ観音」から東へ向けて歩きまひょ~♪
約1kmぐらい歩いた処に「藤原宮跡」という史蹟が在ります。
(藤原宮跡への 道標)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここは唐の都に倣って日本が初めて造った都城の跡なんですよ。
西暦694年から~710年までの16年間でしたが持統天皇が夫であった
天武天皇の意志を受け継いで飛鳥からこの地に都を遷したそうです。
(藤原宮跡の 表示板)
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東西5.3km 南北4.8kmの広大な敷地は西暦710年に奈良の平城京へ
遷都する際にほとんどの建物を移し替えたので何も残ってはいません。
この大きさが正しいとすれば平城京や平安京を上回る規模になりまんな。
この藤原宮で大宝律令が編纂されました、「日本」を初めて名乗る遣唐使が
中国の唐へ向けて出発したのもここ藤原京の都からだったそうです。
(資料館に保管されている 藤原宮の柱)
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現在は広い敷地のみで当時の姿を想像できる物は何も残って居ませんね。
最近は建物が邪魔をしていますが昔はここ藤原宮から大和三山が
一望で見渡せる、素敵な風景で在ったようです。
大和三山は全て200mにも満たない低い山ですが奈良盆地の何処からも望める
伝説や万葉集にも登場する大和を代表する山なんですよ。
やはり一番有名なのは「天の香具山」ですかな。
(香具山 標高152m) (かぐやまと読みます)
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持統天皇がここ藤原宮から見て詠まれた和歌だと言われていますね。
「春過ぎて夏来るらし白妙の 衣乾したり天の香具山」 (万葉集1-28)
この香具山は藤原宮から東南の直ぐ近くにある山と言うよりは丘のような感じですな。
(耳成山 標高140m) (みみなしやまと読みます)
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大和三山では一番低い山ですが円錐形で何処から見てもまん丸い山なんですよ。
藤原宮から眺めて北側にみえる山で「耳がない」(余分な処がない)の意味で
パンのみみがない~ と同じようなネーミングでしょうな。
近鉄電車の車窓からもまじかに見える美しい姿の山ですね。
(畝傍山 標高199m) (うねびやまと読みます)
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大和三山の中で一番高い山で麓には橿原神宮と神武天皇陵が在ります。
「香具山は 畝火(うねび)雄々しと 耳梨と 相あらそひき 神代より
古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそうらしき」
中大兄皇子(天智天皇)の歌だったと記憶しますが万葉集に載っていますね。
高くて秀麗な畝傍山を愛しいと思い香具山と耳成山が争ったという意味で
昔から妻を争うのは大和三山も人々も同じなんだねと詠まれたそうです。
(藤原京跡 広大な敷地のみです)
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藤原京跡は何も見る物はないので畝傍山の方へ足を延ばして見ますかな。
大和三山は大昔の死火山で奈良盆地は当時は海だったそうで海中に浮かんだ
島が噴火して頂上だけを地上に出したのが大和三山だそうです。
海は大阪の方へ後退し現在の奈良盆地ではそんな感じはとても見えませんけど。
数千万年前の話ですから跡形が残っていることはあり得ませんよね。
(道標) (何故か香具山 → 香久山になってます?)
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お役所にしてはお粗末な間違いだけど、わざと香久山と書き変えたのかしら。
すぐ側を飛鳥川が流れています橋を渡って西へ急ぐことにしますかな。
(飛鳥川)
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名前だけは奇麗な川ですが何の特徴もない小川にすぎませんけどね。
明日香村の石舞台古墳よりもまだ南から流れ出して大和川の本流に注いでいます。
(神武天皇陵) (奈良県橿原市大久保町)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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入口から約300mぐらいの参道は白玉砂利が敷かれて荘厳な感じはしますね。
神武天皇は紀元前660年1月1日にここ橿原市で即位されたと言われています。
1月1日は旧暦なので新暦に直すと2月11日=建国記念日ちゅう事ですな。
学問的には伝説の人物で実在しなかったとの説が濃厚ですけど。
でも初代の天皇として皇室や宮内庁は現在も敬って大事にお祀りしておられますよ。
(神武天皇陵 拝所を正面から撮影)
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実は神武天皇陵がこの辺りに在るのは知っていましたが訪れるのは初めてなんですよ。
時節柄とはいえ誰にも会うこともなく参拝だけ済まして引き揚げてきました。
(畝傍山東北陵) (神武天皇陵)
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正式に読むと「うねびやまの うしとらの すみのみささぎ」と呼ぶそうです。
なるほど畝傍山から見たら「うしとら」の方角に在る御陵になりますね。
神武天皇は「かむやまと いわれびこの すめらみこと」とおっしゃいます。
古事記や日本書紀では「はつくに しらす すめらみこと」と書かれています。
不思議な事には「はつくに しらす~」の同じ名前が第10代崇神天皇にも
付けられていますので同じ人物だとの説も有ります。
日本書紀や古事記が天武天皇や崇神天皇をアレンジして神話の世界に造り出したのが
神武天皇だとの説が戦後は学説になっているそうです。
(近畿日本鉄道 畝傍御陵前駅)
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(30000系 近鉄特急 京都行が通過)
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これにて今回の大和路の日帰り旅行は、お仕舞いとなります。
9月7日は吞み会で大阪市内へ出かけますのでブログ訪問はお休みとさせて頂きます。
ほな~ これで、さいなら~
約1kmぐらい歩いた処に「藤原宮跡」という史蹟が在ります。
(藤原宮跡への 道標)
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ここは唐の都に倣って日本が初めて造った都城の跡なんですよ。
西暦694年から~710年までの16年間でしたが持統天皇が夫であった
天武天皇の意志を受け継いで飛鳥からこの地に都を遷したそうです。
(藤原宮跡の 表示板)
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東西5.3km 南北4.8kmの広大な敷地は西暦710年に奈良の平城京へ
遷都する際にほとんどの建物を移し替えたので何も残ってはいません。
この大きさが正しいとすれば平城京や平安京を上回る規模になりまんな。
この藤原宮で大宝律令が編纂されました、「日本」を初めて名乗る遣唐使が
中国の唐へ向けて出発したのもここ藤原京の都からだったそうです。
(資料館に保管されている 藤原宮の柱)
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現在は広い敷地のみで当時の姿を想像できる物は何も残って居ませんね。
最近は建物が邪魔をしていますが昔はここ藤原宮から大和三山が
一望で見渡せる、素敵な風景で在ったようです。
大和三山は全て200mにも満たない低い山ですが奈良盆地の何処からも望める
伝説や万葉集にも登場する大和を代表する山なんですよ。
やはり一番有名なのは「天の香具山」ですかな。
(香具山 標高152m) (かぐやまと読みます)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
持統天皇がここ藤原宮から見て詠まれた和歌だと言われていますね。
「春過ぎて夏来るらし白妙の 衣乾したり天の香具山」 (万葉集1-28)
この香具山は藤原宮から東南の直ぐ近くにある山と言うよりは丘のような感じですな。
(耳成山 標高140m) (みみなしやまと読みます)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
大和三山では一番低い山ですが円錐形で何処から見てもまん丸い山なんですよ。
藤原宮から眺めて北側にみえる山で「耳がない」(余分な処がない)の意味で
パンのみみがない~ と同じようなネーミングでしょうな。
近鉄電車の車窓からもまじかに見える美しい姿の山ですね。
(畝傍山 標高199m) (うねびやまと読みます)
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大和三山の中で一番高い山で麓には橿原神宮と神武天皇陵が在ります。
「香具山は 畝火(うねび)雄々しと 耳梨と 相あらそひき 神代より
古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそうらしき」
中大兄皇子(天智天皇)の歌だったと記憶しますが万葉集に載っていますね。
高くて秀麗な畝傍山を愛しいと思い香具山と耳成山が争ったという意味で
昔から妻を争うのは大和三山も人々も同じなんだねと詠まれたそうです。
(藤原京跡 広大な敷地のみです)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
藤原京跡は何も見る物はないので畝傍山の方へ足を延ばして見ますかな。
大和三山は大昔の死火山で奈良盆地は当時は海だったそうで海中に浮かんだ
島が噴火して頂上だけを地上に出したのが大和三山だそうです。
海は大阪の方へ後退し現在の奈良盆地ではそんな感じはとても見えませんけど。
数千万年前の話ですから跡形が残っていることはあり得ませんよね。
(道標) (何故か香具山 → 香久山になってます?)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
お役所にしてはお粗末な間違いだけど、わざと香久山と書き変えたのかしら。
すぐ側を飛鳥川が流れています橋を渡って西へ急ぐことにしますかな。
(飛鳥川)
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名前だけは奇麗な川ですが何の特徴もない小川にすぎませんけどね。
明日香村の石舞台古墳よりもまだ南から流れ出して大和川の本流に注いでいます。
(神武天皇陵) (奈良県橿原市大久保町)
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入口から約300mぐらいの参道は白玉砂利が敷かれて荘厳な感じはしますね。
神武天皇は紀元前660年1月1日にここ橿原市で即位されたと言われています。
1月1日は旧暦なので新暦に直すと2月11日=建国記念日ちゅう事ですな。
学問的には伝説の人物で実在しなかったとの説が濃厚ですけど。
でも初代の天皇として皇室や宮内庁は現在も敬って大事にお祀りしておられますよ。
(神武天皇陵 拝所を正面から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
実は神武天皇陵がこの辺りに在るのは知っていましたが訪れるのは初めてなんですよ。
時節柄とはいえ誰にも会うこともなく参拝だけ済まして引き揚げてきました。
(畝傍山東北陵) (神武天皇陵)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
正式に読むと「うねびやまの うしとらの すみのみささぎ」と呼ぶそうです。
なるほど畝傍山から見たら「うしとら」の方角に在る御陵になりますね。
神武天皇は「かむやまと いわれびこの すめらみこと」とおっしゃいます。
古事記や日本書紀では「はつくに しらす すめらみこと」と書かれています。
不思議な事には「はつくに しらす~」の同じ名前が第10代崇神天皇にも
付けられていますので同じ人物だとの説も有ります。
日本書紀や古事記が天武天皇や崇神天皇をアレンジして神話の世界に造り出したのが
神武天皇だとの説が戦後は学説になっているそうです。
(近畿日本鉄道 畝傍御陵前駅)
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(30000系 近鉄特急 京都行が通過)
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これにて今回の大和路の日帰り旅行は、お仕舞いとなります。
9月7日は吞み会で大阪市内へ出かけますのでブログ訪問はお休みとさせて頂きます。
ほな~ これで、さいなら~