鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

八幡さまの例大祭    鉄ちゃん爺やのデジカメ散歩

2012-09-25 21:57:17 | 日記
八幡宮や八幡神社を名乗るお宮さんは日本全国で約25000社もあるそうでっせ。

稲荷神社約32000社に次いで多いそうでんな。

第三位が伊勢神明社 第四位が天満宮 第五位が諏訪神社だそうですわ。

我が町にも日本一古い八幡さんと称している「誉田八幡宮」がおまっせ。

伝説のようで本当は京都の石清水八幡宮から平安時代に
勧請したという説が濃厚のようでっけど。

でも否定する文献もないので、日本一古い八幡宮とPRしてまんな。


(誉田八幡宮 拝殿)  (こんだはちまんぐうと読みます)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


毎年9月15日に例大祭と呼ばれる一番重要な神事が行われるんですわ。

昔は陰暦の8月15日に行われたんですが、今はほとんどの八幡宮では
新暦の9月15日にやるように成ってますね。

全国の八幡宮でも概ね9月15日が大事な例大祭だそうでんな。


(謎多き神  八幡様) (石清水八幡宮 宮司 田中氏著書)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


八幡さんは応神天皇をご祭神に神社によって神功皇后(応神天皇の母親)や
比売大神(宗像の三女神)の他 色んな神様が含まれているそうでんな。

九州の宇佐八幡宮が総本社なんでっけど京都の石清水八幡宮が
平安時代から国家鎮護を司った関係で本家のような感じでんな。

よう分かりまへんけど、神さんは分霊と言ってパソコンのソフトのように
コピーができるちゅうのが不思議に思いまへんか?

宇佐八幡宮から分霊して石清水八幡宮へそこで又もや分霊して
鎌倉の鶴岡八幡宮ちゅう具合に全国へ分霊が広がったようでんな。

難しい話は止めて本題の「例大祭」の話をやりまひょ。


(国宝 神輿)  (源頼朝寄進の貴重な工芸品)


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源頼朝が寄進したとの書物が残ってるんでっしゃろな。

誉田八幡宮では毎年9月15日の昼間にはこの神輿を本殿の前に安置し
八幡さんが夕方に神輿に乗り移られると云う想定ですわ。

夜の20時から氏子衆が担いで隣に在る応神天皇陵へ渡御(とぎょ)しまっせ。

応神天皇陵で神事が行われて深夜に再び八幡さまは本殿へお戻りになるそうです。

宮内庁が管理する天皇陵に入れるのはこの神輿を担ぐ氏子さんに
宮司さんだけですが全国で唯一の珍しいことなんですよ。


(誉田八幡宮の 放生橋)  (鎌倉時代後期の石造り)


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誉田八幡宮と応神天皇陵の境界線となっています、普段は此処から先へは
入ると宮内庁のセンサーが働いて係員が飛んできまっせ。

9月15日の夜だけは国宝のお神輿がお渡りになりまんねんで。

明治維新までは放生会(ほうじょうえ)と言う魚や鳥をここから放し
普段の殺生を戒める行事が行われたそうです。

昔は神社には神宮寺というお寺が必ず在って神社なのに
僧侶がお教を拝殿でとなえていたそうでっせ。

廃仏毀釈で明治以降は仏教的な行事や仏具は無くなってしまった訳でんな。

そやから昔は八幡さんを「八幡大菩薩」と言う神仏習合の名前を
天皇が八幡宮に授けたようでっせ。


(HPから 拝借)  (応神天皇陵へ渡る神輿)


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この日は夕方から強い雨でデジカメ撮影を諦めたんですわ。

誉田八幡宮のHPから拝借して貼り付けて置きまっさ。

写りが悪いけど勘弁してくださいね。


(誉田八幡宮の 神楽殿)


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(お神楽を舞う巫女さん)


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巫女さんが「神剣」と思われる日本刀を抜いて剣の舞をされているようですわ。

八幡さんは「武」の神様だからこんなお神楽が奉納されるんでっしゃろな。


(国宝 神輿) 


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


神輿をアップしてみました、神紋が二つ見えてまっしゃろ。

右側が「流れ左三つ巴」と呼んで八幡さんは全てこの紋が使われてますな。

左側は「橘」の紋ですが 石清水八幡宮にもこの紋が付いてます
なんでも宇佐八幡宮から歓請された「行教」という方の紋だったとか
又は石清水八幡宮の建物を造った「橘良基」の紋とも言われ定かじゃないようです。

この神輿は「塵地螺鈿金銅装神輿」(ちりじらでんこんどうそうみこし)と言う
難しい名前が付いてますが約820年前に造られた貴重な美術工芸品でっせ。

普段は収納庫に保管されていますので見ることが出来まへんで。

9月15日だけはこの神輿を担ぐ氏子さんにお願いして神輿の下を
潜り抜けることができるので地元の人は並んで潜るそうですわ。


(国宝 神輿を潜り抜け) (これもHPより拝借)


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神事の一つとは云う物の国宝を触ったり潜ったりできるとは驚きでんな。

来年はわても神輿を潜ってこようかとおもてまんねんけど。


(誉田八幡宮 拝殿)


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16弁菊の紋ですな~ 皇室の紋ですね、やはりご祭神が応神天皇さまゆえに
お祭にはこの菊の神紋が掲げられるんですな。


(石清水八幡宮 本殿)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


画像は本家とも言える京都府八幡市の石清水八幡宮の本殿です。

こちらは誉田八幡宮よりもっと凄い神事が行われまんねんで。

9月15日は「勅祭 石清水祭」と呼び早朝に天皇からの勅使が現在も山の麓で
神輿が降りてくるのをお迎えするそうですわ。

なんでも夜に神事が終ると「石清水祭無事終了す」と宮内庁へ電報を打つそうな。

昭和天皇はこの電報を聞かれてから寝室へ入られたそうです。

今上天皇もおそらく同じようにされているのではと
石清水八幡宮の宮司さんの本には書かれてますね。

何せ平安時代の貞観5年(西暦863年)から続く重要な神事だそうです。

応仁の乱から徳川の初期に中断されたけれども四代将軍徳川家綱の時代から
今日まで続けられているそうです。

朝廷では伊勢神宮と石清水八幡宮を「二所宗廟」と呼んで大事にしたようでんな。

八幡さんは源氏の氏神さんとなり各地の村々へ分霊が行われ
村の鎮守さんといえば八幡さんが多いのとちがいまっしゃろか。

武士には弓矢の神として庶民には五穀豊穣と安産の神様とは便利な神様でんな。

ほな~ 今日はこれでお仕舞い  さいなら~