関西系のテレビが昔の街道を歩く番組をやってますね。
タイトルが「昔の人は 偉かった」
日の出から日没までタレントさんが二人連れで歩く演出なんですよ。
先週は我が町を通過して「東高野街道」で国宝を訪ねてをやってました。
私も隣町から少しだけ歩いてみました。
「東高野街道」(ひがしこうやかいどう)(西暦1703年・宝永元年の絵地図)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
画像の絵地図で山の麓を左から右へ描かれているのが東高野街道です。
これは以前にも紹介した大和川付替え工事を表したものですよ。
東高野街道は京都府八幡市で石清水八幡宮の参道から京街道と分岐し
生駒・金剛葛城の麓を南下して河内長野市で高野街道に合流しています。
元は京都から河内国府へ行く官道だったようですが、平安時代以降は
高野山の霊場参りが流行し東高野街道と呼ばれるようになりました。
近世以降大坂や堺が繁栄し中高野街道・西高野街道も出来ましたが
京都から最短で歴史的にも一番古いルートだったと考えられます。
現在の東大阪市や大東市辺りは深野池や広大な湿地帯でしたので
大和川が付替えされるまでは歩くには不向きな地域だったんですな。
だから東高野街道が当時は河内の国を縦断する唯一の道だったそうですよ。
ほな~ 隣町の柏原市からスタートしまっせ。
(新大和橋) (手前は柏原市 橋を渡ると藤井寺市)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
江戸時代には戦略的な場所だったので橋を架ける事は出来なかったそうです。
船橋という地名も残っているように渡し船で大和川を越えたようですな。
前回の国府(こう)遺跡を迂回して藤井寺市の道明寺町へ出て来ました。
(東高野街道の道標)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
我が町と藤井寺市は世界文化遺産に「古市古墳群」を申請しているので
古い史蹟や建物それに歴史的な街道を保存しPRに努めているようですな。
(東高野街道)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
道路を挟んで画像の右側が道明寺天満宮で左側が道明寺(尼寺)ですよ。
元は右側の道明寺天満宮に在った物が明治の廃仏毀釈でお寺関係が
左側の敷地に建物すべてを移転したそうです。
(古義真言宗 道明寺) (大阪府藤井寺市)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
このお寺は聖徳太子が土師氏の協力で完成した昔からの尼寺なんですよ。
菅原道真公の叔母さまが居られて大宰府に流される前に立ち寄り
手作りされた十一面観音や遺品を預けられたそうです。
十一面観音は国宝の秘仏ですが毎月18日・25日にご開帳されます。
画像の本堂の扉が開いているのでご開帳日ですが写真撮影は厳禁です。
(道明寺 十一面観世音菩薩) (国宝)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
内緒で遠くから写してみましたが、お顔が拝めませんな。
(道明寺のご朱印)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(道明寺の境内)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
元々は土師氏のお寺なので土師寺と呼んでいたそうですが分家筋の
菅原道真公に依り平安時代の後半から道明寺と呼び改められたようですね。
お隣の天満宮にも立ち寄ってみますかな。
(道明寺天満宮の拝殿)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
それでは東高野街道へ戻って続けましょ。
(東高野街道と古市街道の分岐点)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
右 道明寺・玉手・京 (東高野街道)
左 八尾・久宝寺・大坂 (古市街道)
この辺りは1614年(慶長20年)大坂夏の陣の激戦地なんですよ。
後藤又兵衛と薄田隼人を討ちとり進軍してきた徳川方はここで
大坂方の真田幸村親子や毛利勝永の軍勢と衝突しました。
徳川軍の伊達政宗は道明寺まで押し戻されたそうです。
両軍はこの東高野街道を挟んで睨みあいになりましたが八尾・若江方面の
大坂方が敗れたとの報が入り真田幸村はこの古市街道を通って
大坂城へ退いたものの徳川方も疲れて追撃できなかったようですね。
(誉田八幡宮の土塀 & 東高野街道)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(誉田八幡宮) (大阪府羽曳野市)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
真田幸村はここから押し出して徳川方の伊達政宗や本多忠政等を攻撃し
殿(しんがり)を引きうけて大坂城へ撤退したようですな。
東高野街道は、ここから古市の旧町へ入って行くようでね。
(古市蓑の辻) (大阪府羽曳野市)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
画像の上下方向が東高野街道になりますよ。
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
ここで日本で一番古い国道の竹内街道(たけのうちかいどう)と交差しています。
竹内街道は難波宮からここを通過し飛鳥の都に至る古い官道ですな。
江戸時代には両替商や宿屋が並び大いに栄えたと記録されています。
(東高野街道 不動坂へ向かう)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(不動坂の登り)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
たいした坂じゃないんですが現在は国道のバイパスになって道幅が広いですな。
この不動坂は戦国時代の天正年間に織田信長が坂の上に在る高屋城を攻め
落城させた古戦場とされていますね。
左側の林に高屋城の土塁が当時のままに残っていますよ。
坂上から見下ろすとこんな感じですな。
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(高屋城の本丸跡) (現在は安閑天皇陵)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
室町時代に河内守護職の畠山氏が築城した高屋城なんですよ。
当時は天皇陵だって気にもしない時代だったんでしょうな。
勿論、今は宮内庁の管轄だから立入り禁止になっていますね。
(高屋城祉の説明板)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
私の家はこの見取り図の左側の一角に在りまんねんわ。
(城山姥不動明王のお社)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
下の画像を見てくれはりまっか、道路と歩道に見えまっしゃろ。
歩道に見えるのが東高野街道で左側は戦後に出来た道路ですわ。
私も大阪府の公式HPを見て初めて知りましたんや。
他所からきた方は間違って国道へ出てしまいそうでんな。
(東高野街道の紛らわしきルート)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
ここからは私の家の屋根も見えているんですわ。
咽も乾いたし麦茶でも飲んできまっさ。
直ぐに戻ってきまっさかいにご免やす。
ほな~ 続きは一寸だけ待っといておくれやす。
タイトルが「昔の人は 偉かった」
日の出から日没までタレントさんが二人連れで歩く演出なんですよ。
先週は我が町を通過して「東高野街道」で国宝を訪ねてをやってました。
私も隣町から少しだけ歩いてみました。
「東高野街道」(ひがしこうやかいどう)(西暦1703年・宝永元年の絵地図)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
画像の絵地図で山の麓を左から右へ描かれているのが東高野街道です。
これは以前にも紹介した大和川付替え工事を表したものですよ。
東高野街道は京都府八幡市で石清水八幡宮の参道から京街道と分岐し
生駒・金剛葛城の麓を南下して河内長野市で高野街道に合流しています。
元は京都から河内国府へ行く官道だったようですが、平安時代以降は
高野山の霊場参りが流行し東高野街道と呼ばれるようになりました。
近世以降大坂や堺が繁栄し中高野街道・西高野街道も出来ましたが
京都から最短で歴史的にも一番古いルートだったと考えられます。
現在の東大阪市や大東市辺りは深野池や広大な湿地帯でしたので
大和川が付替えされるまでは歩くには不向きな地域だったんですな。
だから東高野街道が当時は河内の国を縦断する唯一の道だったそうですよ。
ほな~ 隣町の柏原市からスタートしまっせ。
(新大和橋) (手前は柏原市 橋を渡ると藤井寺市)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
江戸時代には戦略的な場所だったので橋を架ける事は出来なかったそうです。
船橋という地名も残っているように渡し船で大和川を越えたようですな。
前回の国府(こう)遺跡を迂回して藤井寺市の道明寺町へ出て来ました。
(東高野街道の道標)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
我が町と藤井寺市は世界文化遺産に「古市古墳群」を申請しているので
古い史蹟や建物それに歴史的な街道を保存しPRに努めているようですな。
(東高野街道)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
道路を挟んで画像の右側が道明寺天満宮で左側が道明寺(尼寺)ですよ。
元は右側の道明寺天満宮に在った物が明治の廃仏毀釈でお寺関係が
左側の敷地に建物すべてを移転したそうです。
(古義真言宗 道明寺) (大阪府藤井寺市)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
このお寺は聖徳太子が土師氏の協力で完成した昔からの尼寺なんですよ。
菅原道真公の叔母さまが居られて大宰府に流される前に立ち寄り
手作りされた十一面観音や遺品を預けられたそうです。
十一面観音は国宝の秘仏ですが毎月18日・25日にご開帳されます。
画像の本堂の扉が開いているのでご開帳日ですが写真撮影は厳禁です。
(道明寺 十一面観世音菩薩) (国宝)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
内緒で遠くから写してみましたが、お顔が拝めませんな。
(道明寺のご朱印)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(道明寺の境内)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
元々は土師氏のお寺なので土師寺と呼んでいたそうですが分家筋の
菅原道真公に依り平安時代の後半から道明寺と呼び改められたようですね。
お隣の天満宮にも立ち寄ってみますかな。
(道明寺天満宮の拝殿)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
それでは東高野街道へ戻って続けましょ。
(東高野街道と古市街道の分岐点)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
右 道明寺・玉手・京 (東高野街道)
左 八尾・久宝寺・大坂 (古市街道)
この辺りは1614年(慶長20年)大坂夏の陣の激戦地なんですよ。
後藤又兵衛と薄田隼人を討ちとり進軍してきた徳川方はここで
大坂方の真田幸村親子や毛利勝永の軍勢と衝突しました。
徳川軍の伊達政宗は道明寺まで押し戻されたそうです。
両軍はこの東高野街道を挟んで睨みあいになりましたが八尾・若江方面の
大坂方が敗れたとの報が入り真田幸村はこの古市街道を通って
大坂城へ退いたものの徳川方も疲れて追撃できなかったようですね。
(誉田八幡宮の土塀 & 東高野街道)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(誉田八幡宮) (大阪府羽曳野市)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
真田幸村はここから押し出して徳川方の伊達政宗や本多忠政等を攻撃し
殿(しんがり)を引きうけて大坂城へ撤退したようですな。
東高野街道は、ここから古市の旧町へ入って行くようでね。
(古市蓑の辻) (大阪府羽曳野市)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
画像の上下方向が東高野街道になりますよ。
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
ここで日本で一番古い国道の竹内街道(たけのうちかいどう)と交差しています。
竹内街道は難波宮からここを通過し飛鳥の都に至る古い官道ですな。
江戸時代には両替商や宿屋が並び大いに栄えたと記録されています。
(東高野街道 不動坂へ向かう)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(不動坂の登り)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
たいした坂じゃないんですが現在は国道のバイパスになって道幅が広いですな。
この不動坂は戦国時代の天正年間に織田信長が坂の上に在る高屋城を攻め
落城させた古戦場とされていますね。
左側の林に高屋城の土塁が当時のままに残っていますよ。
坂上から見下ろすとこんな感じですな。
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(高屋城の本丸跡) (現在は安閑天皇陵)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
室町時代に河内守護職の畠山氏が築城した高屋城なんですよ。
当時は天皇陵だって気にもしない時代だったんでしょうな。
勿論、今は宮内庁の管轄だから立入り禁止になっていますね。
(高屋城祉の説明板)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
私の家はこの見取り図の左側の一角に在りまんねんわ。
(城山姥不動明王のお社)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
下の画像を見てくれはりまっか、道路と歩道に見えまっしゃろ。
歩道に見えるのが東高野街道で左側は戦後に出来た道路ですわ。
私も大阪府の公式HPを見て初めて知りましたんや。
他所からきた方は間違って国道へ出てしまいそうでんな。
(東高野街道の紛らわしきルート)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
ここからは私の家の屋根も見えているんですわ。
咽も乾いたし麦茶でも飲んできまっさ。
直ぐに戻ってきまっさかいにご免やす。
ほな~ 続きは一寸だけ待っといておくれやす。
こんにちは
当店の商品を買います
合計3~5万円は3%引き
合計5~10万円は4%引き
合計10万-20円7%引き
信用第一、良い品質、低価格は、商品は絶対の自信が御座います
よろしくお願いします
www.lscopy.com
東高野街道の標識も整備されて、最近でしょうね
竹内街道もたまに車で通りました
我が家から先、富田林にかけては地元の方しか知らない小道ですね。
道標も完備されてませんでした。
船橋の地名はあちこちにあります。
江戸時代、将軍が日光東照宮へ行く際、
荒川を渡るため船橋を架けました。
上流に向けて沢山の船を並べその上に板を置いて橋にしたものを船橋と言うのだそうです。
それでも雷雨は思っていたより大きくならずに助かりました。
お陰で黒田さんの散歩道(?)「東高野街道」を
ユックリ読ませてもらいました。
もち米を使った関西風の桜餅が最近は道明寺餅と呼ばれているようですね。
元々は道明寺粉(もち米)を使う処から出ています。
菅原道真公が道明寺に置いていった十一面観音に叔母さんが捧げたのが由来のようです。
当時は桜の葉っぱなどは使いませんでした。
現在は道明寺の参道で道明寺餅が売られている訳でもありません。
地元和菓子屋さんの明月堂さんが昔のスタイルの道明寺餅を復活させたと聞いています。
実物は今度買ってきてブログに載せますからね。
関西でも普通は道明寺餅と言うよりは桜餅と呼ぶ方の方が多いようですよ。
昔の街道を残す努力を各自治体がやり始めたように思いますね。
東海道や中山道は全国版ですが東高野街道や竹内街道は関西でもあまり知られていませんな。
明日も関東地方は荒れ模様の予報ですね。
雷や突風にご注意くださいませ。
それにしても鉄ちゃん近くには神社仏閣、文化遺産が多いですね。
国道の〔 〕号線は旧新に関係ないようですが国道1号線は東京中央区基点に大阪市まで551.8キロ
〔1985建設省道路局企画編集書〕
~横浜~箱根~岡崎~名古屋~京都~大阪終点長い道程、ゆっくり国道1号線の旅も楽しいだろうな…
新旧の見所沢山旧跡名所~西に向かう程に盛上がりですね
文化財が掘りだされて大騒ぎになることもありますね。
最近も古墳を調査中に刀や装飾品が大量に出土しましたよ。
近鉄系の会社以外はマンションなどの新規建設には二の足を踏むことが多いそうです。