コツコツと作り置きの惣菜を作り糠床をかき回し、古くなった衣類やタオルをボロ布用に均等な大きさに裂いてストックしたり爪楊枝で水回りの汚れを綺麗にしたりする50代の夜更け。心が落ち着きクリアになる。本当はこんなことで毎日明け暮れたい。
夜の工事中の青山で、銀行に寄るため囲いの誘導を中年過ぎのおじさんがしてくれた。その最中に30歳前後の若者が誘導の仕方が悪いとどなり散らした。帰りもまたおじさんが誘導してくれたが、また若者がどなり散らしていた。ヘルメットの彼らにどのような上下関係があるのか知らないけど、悲しかった。
明日から仙台入り。WSを終えたら、9日は沿岸部の被災地をまわる。案内して下さる方が大川小学校もそのルートに入れていくれている。南三陸は2011年6月に訪れて以来。あのときと、どのくらい、何が違うのか。身体で感じ記憶してきたい。
@t_maron ありがとう。2年前に見た景色とどう違うのか。そして自分がどう感じるのか。すべてを受け取ってきます。
@t_maron はい、受け取って、踊ることが祈ること、と思っています。
死も受け取る。受け取ることはとても難しい。でも、受け取らないと始まらないものね。
@t_maron 今回のテキストにしている、長田弘さんの「人はかつて樹だった」という詩集。『受け取る』ことをさまざまな形で書かれています。機会があったら読んでみて下さい。
@t_maron いや、あれとはまた違うのです。あれはクリムトの表紙のやつ。「詩ふたつ」という本だったと思うよ。オットーさんに朗読してもらった本。
そして、いちばん受け取りにくいのが
「死」ではなかろうか。
けれども、受け取らないといけない。
どんなに悲しくても。
@yuzimasrosas お、そうなのね。受けてみたいわ!
あと、ボヴェさん、作品にもよるけどわたしは好きなのもあったので、お時間があれば見るのもいいかもですね。