原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

6月5日(木)のつぶやき

2014-06-06 | Twitter

戦争が起きたら、自衛隊がどうこうっていうより、ふつう「健康な若い男子」は総動員されて前線に送られるでしょうが。ミサイル一発でお互いに終わらせるような戦い方が前提なら、そもそも自衛隊の出動は限定的なもの。戦闘に戦闘で備える発想が非現実的なのよ。外交と経済による備えが最優先のはず。

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5月中旬ぐらいから、地震の震源がバラけてます
宮城~茨城沖の地震の数が減って、震源が広範囲にバラけてます。
(赤=北海道、緑=西日本方面、青=日本海側) この表にはないけど、富山、滋賀、和歌山、九州大分、伊予灘も地震が起こってます pic.twitter.com/xes20PHf2J

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身体の中には、育った場所の「気候風土」や、体験してきたもの、食べてきたものなどの「文化」が詰まってる。すむ場所が変われば、それもまた変わる。それを生かさないでどうするのだ?と思うのだ。

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そいえば小栗康平が新作を撮るそうだ。いま東中野にこもっていると聞いた。

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@sikajiruci その後に吐き気や頭痛の訴えがあったら要注意ですね。
2~3日の経過観察も。ともあれ、こぶですみますように。
お疲れさまです。ゆきちゃんも身体大事にね。


会社を創業して12年になる。どうして会社が存続し得ているか、創業者はよく理解していないと思う。その内実を本当に知るのは、不安的な創業期を支えた人たちだ。自分のビジネスの秘訣は、と語る創業者の本よりも、支えてきた人たちの経験に叡知が宿っている。しかし、そうした著作はほとんどない。

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踊るとか山に行くとか空を見てぼんやりしているとかごはん創作するとか、世の中の営みにはちっとも役に立たないことをバランスよくやらねばいかんよね。

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〇塾では、6月から月に1回(毎月第3土曜日)に「野口体操 からだの教室」を開講いたします。講師は、昨年夏に特別講座「野口体操 からだの教室」で講師をつとめてくださった白藤学史さんです。初回は6月21日(土)です。ぜひお越しください! wa-juku.hatenadiary.jp/entry/2014/05/…

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【道】を歩することは、神と接し、神と合体することであった。【道】は歩むべきところであり、通過するところではない。

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麿赤兒率いる大駱駝艦の新作は『ムシノホシ』、ジェフ・ミルズと再びタッグ cinra.net/news/20140603-… pic.twitter.com/RDhTGpv2aE

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知らない誰かの手を握ったことの記憶

2014-06-06 | 徒然なるままに
ふと、夜の道を歩きながら思い出したことがあった。

もう10年以上前だろうか。
冬だった。
おそらく忘年会とか、そういう時期だったのだと思う。
わたしは、その頃とても重宝していた膝下までの丈の、茶色のダウンコートを着ていた。

渋谷、終電もそう遠くない時間だったと思う。
ハチ公前の喧噪から地下に入る階段の下に
人が倒れていた。

多分30代とか40代の、割と若い感じの男性だったと思う。

どこかから少し血を流していたのかもしれない。
そばには、駅員のような男性がいて
救急車の到着を待っていたようだった。
階段から足を滑らせて
打ち所が悪くて起きられないように見えた。

わたしはそのひとのそばを通ったときに
思わずしゃがんで様子を見たのだと思う。

そしてコートを脱いでその人に掛けた。
床はコンクリートに化粧タイルを貼ったような、都会によくあるもので、
そこに寝ているのはものすごく身体が冷えるだろうと思ったからだ。
そこに何の逡巡もなかった。

そして、そこに座ってその人の手を握った。
その人の手は冷えていたと思う。
私の手はかなり暖かい。
温めようとしたのだろう。

ここまで読んでお気づきの方もあるかもしれないが
私はただの酔っぱらいだったのである。
なので(?)何か考えることもなく
そういう行動をとっていたのだった。

もしかしたら「大丈夫ですよ」とか「もうすぐ救急車が来るみたいですよ」とか、
何か囁いていたような気がする。

その人も酔っぱらいだったのかは分からないが、
ずっと目をつぶっていた。

そして救急隊が来て
あ、もういいかなと手を放そうとしたときだったか。
一瞬、わずかに手を握り返してくれたような気がしたのだった。

コートを剥ぐときにちょっと申し訳ない気持ちになったけれど
そのコートを着て、階段を下りて地下に行き、電車に乗った。

雨に濡れた夜の道で滑りそうになった時
そのことをふと思い出したのだった。

いいことをしたとか、そんなつもりはもちろん毛頭ない。
迷惑だったかもしれない。
どちらでもいい。

でも何でああいう行動に出たのだろうと思い返したら
わたしは自分が倒れていたら同じことをしてほしいとあのとき思ったのだと思う。

死の床でも同じかもしれない。きっと。

ダンスセラピーのセッションでも
誰かの身体に触れたり、手を合わせたりすることがあるけれど。

何だかこういうことを思い出したので
また違った形でやってみることになると思う。




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