自分や誰かや何かの状態を、できるだけ丁寧に見ていく。
そうすればそうするほど、それを表現する言葉の感覚も繊細になっていく。
言葉が繊細になれば、動きと身体感覚も繊細になる。という循環がある。
建設費1700億円あったら福島へ。8万人収容誰が使う?無駄の極み RT @run_bun 壊される都営霞ヶ丘団地
<この計画上空写真、大勢住んでる人を有無を言わさず追い払って勝手にコンペとはpic.twitter.com/ve36tVYS94
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外苑前から千駄ヶ谷にかけて、静かで穏やかで、暮しのある町並みなのに。新競技場の工事でどんな風に変わってしまうのか。
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@body_wisdom 東京に生まれ育つと、変わって行くのが宿命であると思わざるを得ない部分はある。が、あの辺りの良さが失われることがないように、と切に願う。
最近大病した40代の友人が「病気になったことも驚きだったが、病気になった後の生活や人生があまりにもこれまでと違ってそっちのほうが衝撃的だ」と話していた。また、「病院に行ったらそうした人が実は多いこと、それまで自分がそのことをまったく知らずに過ごしていたことも衝撃」とも話していた。
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それは「経験しないとわからないよ」と言い放てないくらいの落差で、しかも元に戻れるほうが運がいい。だから「元気しか知らない人」と医療や予防の話をしてもピントがずれたり、説明しても重苦しいと言われたりする。私だって本当の意味で体験してはいない。そこの壁をどう突破するかが使命。
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