目で見えるものものばかり追っていると
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2016年10月24日 - 21:26
目に見えないものを感じることはできない。
瞑目して見えるもの、というのが確かにある。
見えない存在があることを、その時にありありと感じる。
欠損しているもの、欠落しているものを
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2016年10月24日 - 21:55
本来満たされてしかるべきものであった、と考えると
そこには悲しみと怒りしか生まれないが、
欠損や欠落は誰にでもあるものであり
むしろそれすらも身のうちに入れての包括、という視点。
もっと大切にされてもいいのではないだろうか。
大人という制服を身につけて社会適応する、ということも辛いが
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2016年10月24日 - 21:58
ずっと子供でいたい、というのはむしろ
思い通りにならないことへの歯がゆさと
得られないものを死ぬまで追い続けるという悲しみがあるのかもしれない。
それにしてもこの諏訪以東の関東民の水田稲作への強い抵抗力やばいでしょ。 pic.twitter.com/LyzFGjhuT1
— 朝霧シオン (@asasio) 2016年10月24日 - 03:12
永遠を踊ることで
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2016年10月24日 - 22:26
瞬間の中に永遠につながる時がある、
と気づけるならば。