ACによくあることとして、
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2018年8月24日 - 00:00
本当は親や加害者にぶつけたいことを
自分の治療者や近しい存在にぶちまけることがある。
気を許せるからこそ出てくるということは理解できる。
でもね、それは違うよ。
あなたの味方であるはずの対象を
今までやってきたように敵認定するのは違うよ。
治療者はなるべくクライエントに沿おうとしている。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2018年8月24日 - 00:05
時々厳しいことも言う。
でもそれはクライエントを傷つけるためではない。
クライエントが陥っている穴に気づかせるためのものでもある。
厳しいことはいうほうにも覚悟がいるのだよ。
@t_s_ei ありがとう〜!1また来てね!(オレが生きてるうちだけどなwww)
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2018年8月24日 - 00:12
被害者となることは本当に辛い。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2018年8月24日 - 00:16
が、被害者のロールに一生とどまり続けることこそ
本当は一番辛いことなのだ。
世界に対し呪詛の念が強くなってしまうから。
傷が跡形もなく消えるということはない。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2018年8月24日 - 00:19
だからそれまでに自分の傷を癒すことをある程度して来たら
社会やもっと広い意味での社会や自然に目を向けること。
自分にしか目がいかない時間ばかりだと
無駄に深掘りして出口がわからなくなるから。
傷を放置していると
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2018年8月24日 - 00:29
「どうせ〜に違いない」「どうせこう思っているんでしょ」
などの被害的であり、自らの悲観的な誘導を
(本人が)無意識のうちにしていることが多々見受けられる。
そこに気づくことができれば、あれ?となることもあるし
本人の感じ方が少しずつ変わってくる。
不幸になる人というのは自分が不幸になるように行動している。
— 加藤諦三bot @心理学 (@katotaizobot) 2018年8月24日 - 00:29
加藤諦三さんの言葉は
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2018年8月24日 - 00:31
いつでもあまりに身もふたもないけど
本質を突いていることも多いよな。
>RT