甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

矢頭山と六本松(松阪市)

2014年09月06日 07時45分17秒 | 松阪探検メモ
 矢頭山は三重県の真ん中くらいにあって、そんなに高い山ではないけれど、県内のあちらこちらから見えます。

 山の形が印象的なので、いろんな角度からでも「あれは矢頭山だ」と判断できるからです。どの角度が美しいのか、よくはわかりませんが、いつも矢頭山を見上げて、「今日はいい天気だ」とか、「かすんでいて見えないなあ。本当はそこに見えるはずなのに」と思ってしまいます。あれこれとこちらにものを思わせてくれる山です。



 だから、若者も「何だよ、あんなもの」と思い、落書きをして、矢頭山を蹴散らそうとしたのでしょうか。でも、矢頭山はそんなことなどものともせず、景観の1つとして吸収してしまいます。当たり前ですね。自然にいくら人間が反抗しても、すべて取り込まれてしまう。時々は自然はダメージを受けたような雰囲気になりますが、あまり気にしないで、というか、自然は自然のままに、推移していくのでしょう。そこに人間がいつまでもいられるのかどうか、それはわからないです。

 無駄な抵抗などせず、心からひれ伏したい気持ちで、登らせて欲しいお山です。往復四時間くらいかかるそうで、それができるかどうか、1人で登る自信がなくて、だれかが一緒に登ってくれるといいです。



 松阪の「山辺の道」、伊勢自動車道に平行に走る道があって、その道沿いに神社やら、お寺やら、石碑やら、ひょっとして古墳やら、いろんなものがあります。すべてが観光地化されてなくて、放置されたままです。地元の人には愛され、気遣われ、大事にされているようですが、よその人は何も気にしない。

 ある時、クルマで走っていると、松阪市を取り囲む山々の前ににょっきりとそびえる木にびっくりしたものでした。何度もこの道をクルマで走ったことはあったのに、民家がとぎれて田んぼが広がったところに、ポツンと大きな木が立っていたのです。

 ある時、ここの写真を撮るために、トコトコ歩いていきました。どこから眺めても、なかなかすばらしいのです。





 近づいてみると、一本の木ではないようでした。日立のコマーシャルのように、一本の木が枝を伸ばし、大きくそびえているのではありませんでした。何本かの集合体で、何の木? とまわりを歩いてみました。

……看板がありました。「松」とありますが、そうではないような気がします。







 これらの木々の根っこの所に、ちいさな祠(ほこら)があって、何か文字が書いてありました。私は勝手にここは旅人の安全を祈る場所ではなかったかと想像しました。文字は見えないので、自分で歴史を調べたり、地元の人の話を聞かせてもらったりしたら本当のことがわかるでしょう。それができてませんが、とにかく歴史のある場所であって、無意味に木々が残っているわけではないのだと知りました。理由があったのです。

 旅人が伊勢と関西その他の地方へ向かう折、正式な街道がもっと平地にありますが、近道をしようとしてこちらを歩いた可能性があったのではないかと考えます。初瀬街道へつながるためのバイパスというのか、そのためにできた集落が松阪市阿坂町なのだと思います。古いお社もあります。今も津や名張へ向かう時に突っ走る道の1つなので、昔も何かの役割を担う道だったと思われます。







 初めて訪れた私は、祠の前で手を合わせ、ここに憩い、ここを通り過ぎ、ここで倒れ込んだ人々を思い、それらの人間群像を見てきた木々に感謝しました。そして、山々とのコントラストに見とれ、もっと松阪市民のみなさんも来ればいいのに、と思ったりしたものです。

 もっともっと、自分たちのまわりのあれこれを、私たちサイズで、私たちにわかりやすい形で、触れられるようにしなければなあと思います。


1 六本松 夏の夕暮れ忘れ物


2 夏空や いにしえ人も見上げけり


3 夏の空 松阪アルプスと六本松


4 夏の雲 とらえどころなく我らあり 




★ 2018.8.3 昨日の矢頭山です。このあたりにたくさん鉄塔が立って、そのまま素直に見られなくなっています。鉄塔・鉄柱、私たちの生活を支えているモノだけど、なるべくなら最小限にしてほしいです。それほど鉄塔が必要なんだろうか。太陽光パネルも増殖をつづけているけれど……。実態はどうなっているんだろう。


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