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今夜は、U2を聞いています。変ですね。ヒマなんでしょうか。昨日の夜はフィル・コリンズのベストを2回くらい聞きました。ブログを打ちこみながら、のんきに昔の音楽を聴いているなんて、平和そのものです(平和ボケしているかもしれない)。
私の中では、フィル・コリンズは新しい方なんだけど、立派なナツメロだし、今聞いているU2は、MTV全盛のころのバリバリの作品でした。ということは三十年以上前の作品なんですね。そうなのか、信じられない。まだ大阪に住んでいたころの話か……。ついこの前見たような気がしていたけれど、そんな昔の作品だなんて、もう恐ろしいくらい時間は過ぎていきます。
ステキな人たちは、駆け抜けていきます。樋口一葉だって十四ヶ月だけ活躍しました。漱石先生も十一年だけの作家活動でした。啄木さんは私の年齢の半分以下でした。賢治さんもあっという間にこの世からいなくなったことになっています。
みんな短い活動期間だったけれど、永遠の命を築いた人たちでした。いや、永遠の金字塔というものなのかな。人間そのものはいなくなったけれど、とにかく作品群は今に伝わっています。それに比べて私たちは長いけれどあっという間の、空っぽな(自分なりには頑張ったつもりなのに)時間を過ごしています。
ええい、古いものばかりで楽しみやがって、もうとんでもないオッサンだ(自分ではジジイじゃないのです。他人にはそう見えたとしても)。
そして、ついこの間、BSで南千住の特集をやっていました。そして、ほんの少しだけ東京スタジアムというのがあったと教えてくれました。そうか、ロッテ・オリオンズで日本一だかになった年、たぶんセリーグは「燃えよドラゴンズ」の中日だったのかな。
あの時、南千住に本拠地があったそうです。まだガキだった私は、東京なんて知らないし、興味もないし、後楽園だろうが、神宮球場だろうが、川崎球場だろうが、どこも同じでした。
だから、下町の荒川区にプロ野球のチームの本拠地があったなんて、意外でした。もっと山の手にあるのかと思っていました。
それで、たまたま私が今読んでる本が、池井 優先生の『ハロー、スタンカ、元気かい』という本でした。昨年秋の古本市で買った本です。単行本は1983年に出ているそうです。
80年代に、一昔前の外国人選手たちをアメリカまで訪ねていき、インタビューするというものでした。連絡は手紙で、池井先生がお手紙を書き、いつ会えますか、現地に着いたら電話しますなんて、ものすごく昔風の連絡方法で、少しずつ掘り起こしていくようでした。
取材した相手は、バッキー・ハリス(戦前の第一号外国人選手)、ジョー・スタンカ(60年代に南海で活躍)、ジーン・バッキー(60年代に阪神で活躍、当時私は巨人しか知らなかった)、ケント・ハドリ(南海、全く知りませんでした)、ダリル・スペンサー(阪急)……、読んでいても、お名前は聞いたけれど、どんな選手か全く知らないけど、でもそういう人の生き方があったのだなと読みつなぎ……
6人目がジョージ・アルトマン(70年代半ばまでロッテほか)にたどりつきます。そこでやっと知っている人があらわれます。最終年の75年は阪神でプレーしたそうで、高校生になっていましたので、何となくおぼえている感じです。
それよりも、ロッテでの活躍が印象的で、いつも打撃部門で上位にいたような気がします。それくらい、印象的な人でした。打率の上がる人だったんですね。
そのアルトマンは、池井先生が訪ねたときには、シカゴ交易所での商売のお仕事をされていたそうで、これまた人の人生の色々を考えさせてくれるものでした。
そのアルトマン選手が、南千住にいるときには、地元のコロッケパンを食べていたとか、わりと庶民的で、そういう人々に支援されている球団があったけれど、すぐに転がっていき、今やっと千葉で安住の地を見つけ、ロッテ球団はがんばっているんだと知りました。
いろいろと重なったということですかね。