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世の中では、賢治さんの人気は高まっている気がします。それに比べて、啄木さんの人気は、なんとなくイマイチですね。少しずつ忘れられていきそうな雰囲気があります。でも、不死鳥のようにいつでもよみがえるのかな。古くて新しい情緒が啄木さんの歌にはある?
私は、二十代の頃、啄木さんびいきでした。しょっちゅう電車の中で読んでいたようです。
そして、次のような書き抜きを見つけました。
私は、なぜか多くの友のごとくに恋というものを親しく味わったことがない。ある友は、君はあまりに内気で、常に警戒をしすぎるからだと評した。あるいはそうかもしれぬ。
ある友は、朝から晩まで黄巻堆裡(こうかんたいり 本のこと?)に没頭して、全然社会に接せぬから機会がなかったのだと言った。あるいはそうかもしれぬ。
またある友は、知識の奴隷になってしまって、氷のごとく冷酷な心になったからだと冷笑した。あるいは実にそうなのかも知れぬ。
明治41年の6月に書かれたこの小説で、明治の人の苦しみの一端としてボクはとらえ、『山月記』の中島敦と時代の差はあるものの、戦前までの文学者の共通項があるんじゃないのかなあと、思ったのでした。……1987.6.23 記述
何が言いたかったのか、どうしてここを書き抜いたのか、その意図がわかりません。
でも、今読んでみると、すべて啄木さんではない人のことを語っているようです。それを自分のことのようにして書くのが啄木流みたいな気がして、そこがおもしろいなあ、という気がします。そんなウソが平気で言えるのが啄木さんなんですよね、きっと。
啄木さんは、言うなれば「女たらし」で「浮気っぽい」自分のルックスに自信があるプレイボーイだったはずです。内気で、女の子に声を掛けられないなんて、そんなのは全くのウソです。自分と正反対のキャラを小説の中で作ったんですね。そういう真面目で内気な人になりたいとでも思ったのかも知れない。いや、それはポーズだけですね。
作品と作者が同じでなくてはならないなんて、読者の勝手な思い込みで、作品はとてもピュアなのに、本人はとんでもない野郎だったなんて、そういうことがあって当たり前なのに!
そう、誠心誠意取り組みますとか、真摯に声を聞きたいと思いますとか、そういうのはたいていウソである、というのに私たちは慣れているじゃないですか。物言いが丁寧なのは、内心のウソをごまかすための手段である、そういうのを知らなくてはならない。作家だけは特別ということはありえない。
さて、啄木さんです。自分のまとわりつくような女を侍らせ、次から次と新しい関係を作り出し、気があるのかないのか、何だかインテリ風を演じ、いつか大先生になるぞと豪語している、高飛車でお調子者。それが啄木さんじゃなかったのかな。
まるで、啄木さんが嫌いみたいに書いているけど、そういうえらそうにする啄木さんの虚勢・強がりがどういうわけか私は好きなんです。
どう考えても、まともな暮らしができていない。まわりに迷惑ばかり掛けて、生活力がなく、家族はオロオロついてくるばかりなのに、彼自身が家族のすべてを請け負わされ、そんなしがらみなんか無視するように好きなことを言い、好きなところに行ってしまう。このキリギリスぶりが好きですね。生活に押しつぶされてなんかいない。
啄木さんは本はそれなりに読んだと思います。でも、学者さんのような暮らしではなかった。知識の奴隷ではなかった。いや、こうあらねばならぬという頑固なところが奴隷なのかな? 私は絶対に小説家としてやっていくのだという根拠のない自信をかかえ、野心たっぷりなので、学者さんになんかなりたくなかった。
女性に対して、「氷のごとく冷酷の心」を持っていた。これはある意味真実であり(とっかえひっかえ好きな人を変えちゃうんですから)、奥さんに対しても若いときからずっと一緒の奥さんに甘える気持ちと冷たく扱うドライさを持ち、ある意味あたっていたのかもしれない。
自分で自分のことをつかみきれていなかったような気がします。そんな人が小説家になれるわけがないのに、彼は自分の才能をむやみに信じていた。
彼が若くして死んだこと、ザンネンではあるけれど、いつまで経ってもパッとしないまま、三行書きの短歌だけがクローズアップされていたら、あきらめてそれなりの歌人としてやっていったんだろうか。
老人・啄木が、あいかわらず青春短歌を書くなんて、想像できないです。でも、それも見てみたかったなあ。彼が望んだ大家になってもらいたかった。
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とにかく、30年前のメモから、とりとめもないことを書きました。
寒くなりましたね。今晩車中泊でどこかへ行こうと思ってました。でも、諦めてしまった。
そういう意志の弱いところ、それが私から啄木さんに共感してしまうところなんですね。